はじめに-藤原実資とはどんな人物だったのか?

藤原実資(さねすけ)は、平安時代中期の公卿です。祖父・実頼(さねより)の養子となり、藤原北家の嫡流である小野宮(おののみや)家の莫大な財産を継承しました。非常に聡明だったとされる実資は、祖父以来の伝統を重んじ、周囲から一目置かれていたそうです。

時の天皇・三条天皇の信任も厚く、右大臣に任命されるなど、出世を重ねた実資。政界の頂点に君臨していた道長に対しても物怖じせず、彼の政策に異を唱えることもあったとされます。

正義感が強く、曲がったことが大嫌いな性格というイメージがありますが、実際の藤原実資はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』では、学識があり、正義と道理を重んじた小野宮流の当主(演:秋山竜次)として描かれます。

藤原実資

目次
はじめに―藤原実資とはどんな人物だったのか?
藤原実資が生きた時代
藤原実資の足跡と主な出来事
まとめ

藤原実資が生きた時代

藤原実資は、天徳元年(957)に生まれます。実資が生まれた頃、藤原氏は天皇家との結びつきを強めており、その地位を不動のものにしていました。藤原氏の中でも、特に勢いがあったのが、藤原北家です。北家の嫡流である小野宮家を継承した実資は、後に関白を務める道長にも引けを取らないほどの権力を手に入れることとなるのです。

藤原実資の足跡と主な出来事

藤原実資は、天徳元年(957)に生まれ、永承元年(1046)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

小野宮家を相続する

藤原実資は、参議・斉敏(ただとし)の三男として生まれました。嫡男ではなかったため、家督を継ぐ立場にはありませんでしたが、祖父・実頼の養子となったことで、実資に転機が訪れます。実頼は、聡明な実資のことをたいそう可愛がり、藤原北家の嫡流である小野宮家の財産を彼に与えたのです。

祖父に愛され、若くして莫大な財産を手に入れることができた実資。やがて道長たちの家系が、藤原氏の主流となった後も、実資は一定の地位を維持し続けることとなりました。

華々しい出世を遂げる

小野宮家の嫡流として、一定の地位を維持することができた実資。小野宮家を継承したことを誇りに思っていたとされ、祖父以来の伝統を継承し、歴史や文学、朝廷の儀礼・しきたりなどを研究する「有職故実(ゆうそくこじつ)」を熱心に学びました。

平安時代後期に成立した往生伝『続本朝往生伝』には、一条朝に活躍した優れた公卿の筆頭として、実資の名が挙げられています。頭が良く、教養もあった実資。天元4年(981)に蔵人頭(くろうどのとう、朝廷における令外官の役職)となり、参議・中納言・大納言と、華々しく出世していくことに。

その後、当時の天皇・三条天皇からの寵愛を受けた実資は、治安元年(1021)に右大臣に任命され、貴族社会の中でも強い権力を手にすることができました。しかし、朝廷の伝統を重んじる一流の学者として、決して権力にこびへつらうことはなかったと言われています。

そのため、実資は「賢人右府(けんじんうふ)」と称され、朝廷から重宝されるようになったのです。その後、永承元年(1046)に90歳で天寿を全うするまで、実資は右大臣として活躍しました。

道長との関係性は? 次ページに続きます

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