藤原氏繁栄に貢献する
父親の反対を押し切って、道長の嫡妻となった倫子。結婚した翌年に、長女・彰子を授かります。正暦3年(992)には、長男・頼通を授かり、その後も次々と子どもを授かることになりました。また、道長の姉・詮子(あきこ、もしくは、せんし)との仲も良好で、仲睦まじい家庭を築き上げたとされます。
その後、詮子の働きかけもあって、彰子は一条天皇の中宮(ちゅうぐう、皇后とほぼ同格の后)になりました。そして、ほかの娘たちも次々と天皇の后になり、皇子を授かりました。
当時は、夫婦の間に生まれた子どもは、母方の親族が養育するのが通例だったため、皇子が天皇として即位することで、父・道長は外祖父として権勢を振るうことができたのです。こうして、道長は後一条(ごいちじょう)・後朱雀(ごすざく)・後冷泉(ごれいぜい)の3代にわたって、絶大な権力を誇示することができました。
倫子もまた、外祖母として厚遇され、准三宮という臣下女性最高の栄誉を受けることとなったのです。その後、道長に先立たれた倫子は出家し、天喜元年(1053)、90年の大往生を果たしました。
まとめ
道長と結婚し、藤原氏の繁栄に大きく貢献した源倫子。彼女と結婚し、子宝に恵まれたことで、道長は栄華を極めることができたと言えます。母・穆子だけでなく、倫子もまた、道長の大成を予見していたのかもしれません。
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
HP: http://kyotomedialine.com FB
引用・参考図書/
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
『日本人名大辞典』(講談社)