越前守・越後守に就任、為時にまつわる逸話
失職後、為時はしばらくの間、位階のみを持つ状態となりました。しかし、一条天皇の治世で才能を認められた為時は、越前守に任命されることとなったのです。平安時代後期の説話集『今昔物語集』の中には、為時と一条天皇の逸話が記されています。
長徳2年(996)、官途に恵まれない為時は、一条天皇に詩で訴えたそうです。為時の詩に心を打たれた一条天皇は、彼に越前守という役職を与えたと言われています。自身の恵まれない境遇を詩にして天皇に訴えるという、大胆な行動に出た為時。詩の実力に、相当自信を持っていたのかもしれません。
また、文人として、宮廷での地位を確保していた為時は、道長や頼通などの上級貴族たちが集まる詩会にも参加し、実力を発揮していたそうです。しかし、為時は社交的な性格ではなかったとされます。『紫式部日記』の中には、一条天皇も参加する集まりに招待されるも顔を出さず、道長たちを呆れさせたという逸話が記されています。
その後、為時は越後守に任命されることとなりました。長和5年(1016)、三井寺に出家したとされ、その後の消息は不明です。
まとめ
和歌や漢詩に精通し、時の天皇を感心させるほどの実力を誇った藤原為時。その才能は、娘・紫式部にも受け継がれていると言えるでしょう。文人として名高い父親の存在は、紫式部にとって非常に大きなものだったのではないでしょうか?
※表記の年代と出来事には、諸説あります。
文/とよだまほ(京都メディアライン)
肖像画/もぱ(京都メディアライン)
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引用・参考図書/
『日本大百科全書』(小学館)
『朝日日本歴史人物事典』(朝日新聞出版)
『日本人名大辞典』(講談社)