はじめに-和宮とはどんな人物だったのか?

和宮は、孝明(こうめい)天皇の妹にあたり、江戸幕府14代将軍・徳川家茂(いえもち)の正室になった人物です。天皇家に生まれた和宮には、幼少期から婚約している相手がいました。ところが、関係性が悪化していた朝廷と協調するため、幕府は和宮を将軍の正室に迎え入れようと画策したのです。

当然、幕府の策略は非難されることとなりますが、最終的に和宮は家茂の正室として、江戸城の大奥に入りました。姑にあたる天璋院(てんしょういん、篤姫とも)とのすれ違いもあり、初めは大奥に馴染めなかったとされる和宮ですが、次第に打ち解けていきます。

徳川家存亡の危機に直面した際には、仲違いしていた天璋院と手を取り合い、最後まで戦い抜いた和宮。時代に翻弄された悲劇的な女性というイメージもありますが、実際の和宮はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHKドラマ10『大奥 Season2』では、公武合体政策のために家茂に嫁ぎ、次第に心を開いていく和宮(演:岸井ゆきの)の様子が描かれます。

和宮親子内親王(『幕末・明治・大正回顧八十年史』より)

目次
はじめに―和宮とはどんな人物だったのか?
和宮が生きた時代
和宮の足跡と主な出来事
まとめ

和宮が生きた時代

和宮は、弘化3年(1846)に生まれます。和宮が生まれた頃、外国船が度々日本の周辺にやってくるようになりました。幕府は、海防を強化するべきだと再三指摘されていましたが、結局有効な手段を講じることができませんでした。

外国の脅威が近づく不安定な時代に、和宮も巻き込まれていくこととなるのです。

和宮の足跡と主な出来事

和宮は、弘化3年(1846)に生まれ、明治10年(1877)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。

仁孝天皇の子として生まれる、家茂の正室になる

和宮は、弘化3年(1846)、仁孝(にんこう)天皇の子として生まれます。和宮には、年の離れた兄・孝明天皇がいました。嘉永4年(1851)、孝明天皇は宮家出身の有栖川宮熾仁(ありすがわのみや・たるひと)親王を、和宮の婚約者に決定します。しかし、和宮はその後、別の人物と結婚することとなるのです。

嘉永6年(1853)、米軍のペリー率いる黒船4隻が浦賀に来航したことを機に、アメリカは再び日本に接近。安政3年(1856)には、アメリカ総領事・ハリスが下田に来航しました。

ハリスは、「日米修好通商条約」の締結を幕府に要求します。これは、関税自主権の撤廃と治外法権を認めることを条件とした、日本側にとっては不平等な条約でした。そのため、幕府は孝明天皇から条約締結を反対されることに。

しかし、焦燥感に駆られた大老・井伊直弼(なおすけ)は、安政5年(1858)、孝明天皇からの勅許を得ずに条約を締結してしまいます。孝明天皇は、直弼の勝手な行動に腹を立て、これを機に朝廷と幕府の関係性は悪化することとなりました。

朝廷との関係性を修復するべく、直弼は和宮を14代将軍・家茂の正室にしようと画策することに。皇族を政治的に利用しようとした幕府は世間から非難され、既に婚約者がいることを理由に、和宮も幕府からの打診を拒否していました。

ところが、公武間の溝がこれ以上深まることを危惧した孝明天皇は、悩み抜いた末に和宮の降嫁を決定したのです。これにより、和宮は江戸城の大奥に入り、文久2年(1862)、家茂の正室となりました。

徳川家茂像(徳川記念財団蔵) 
誠実な性格で、幕臣からの信頼も厚かったと言われている。

大奥での生活

既に婚約者がいたにもかかわらず、将軍と政略結婚をさせられた和宮。皇族として生活していた彼女にとって、武家社会の大奥での生活は、かなり辛いものだったかもしれません。また、当時大奥の責任者だった天璋院との関係性も、良くなかったと言われています。

天璋院は、夫である13代将軍・家定の死後、家茂の後見役を務めており、和宮の姑にあたります。武家出身の天璋院と、公家出身の和宮は、生まれ育った環境が全く違うため、分かり合うことができなかったのです。しきたりの違いから対立した、天璋院と和宮。しかし、慶応2年(1866)、家茂が病死して以降、2人の関係性が変わり始めました。

政略結婚だったものの、誠実で優しい家茂と和宮は、とても仲睦まじい夫婦だったと言われています。家茂が亡くなったことで深く落ち込んでいた和宮を支えたのが、天璋院だったそうです。天璋院自身も、2年足らずで夫・家定を亡くしているため、和宮の気持ちがよく理解できたのかもしれません。

その後、和宮は京都には戻らず、落飾して静寛院宮(せいかんいんのみや)と称します。そして、天璋院とともに、危機的状況にあった徳川家を支えることとなるのです。

天璋院 
篤姫とも呼ばれ、和宮とともに徳川家存続に貢献したことで知られている。

天璋院とともに、徳川家存続に尽力する。次ページに続きます

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