文/池上信次
前回(https://serai.jp/hobby/1073459)、バート・バカラックの「アルフィー」はジャズ・スタンダードになっていると紹介しましたが、あのジャズ界の「大物」もバカラックを高く評価していました。それはマイルス・デイヴィス。バカラックの自伝『ザ・ルック・オブ・ラヴ 』にはこんな驚きのエピソードがあります。
ちょっと長くなりますが引用します。
わたしが書いたすべての曲の中で、〈アルフィー〉は、お気に入りのリストのトップか、それに近いところに位置している。そう考える理由のひとつに、それから(注:この曲のレコーディング)何年も経ったある晩、ロスアンジェルスでマイルス・デイヴィスと奥さんのシシリー・タイソンと夕食をともにしたとき、マイルスがかけてくれた言葉があった。ミュージシャンとしてのマイルスは長年わたしのアイドルだったが、夕食の相手としては、ひかえ目に言ってもあつかいにくかった。というのも彼は、ひたすら自分の話しかしないのだ。(中略)するとマイルスがふと、〈アルフィー〉は実にいい曲だと口にした。
(『バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ』(バート・バカラック、ロバート・グリーンフィールド共著、奥田祐士訳、シンコーミュージック・エンタテイメント刊より)
いつのことなのかは明記されていませんが、マイルスがシシリー・タイソンと結婚したのは1981年なので(87年離婚)、バカラックが作曲家としての地位を完全に確立していた時期です。バカラックにはたくさんのヒット曲があったわけですが、マイルスが褒めたのは、そのなかの「アルフィー」だったんですね。マイルスが認めるくらいですから、やはり「アルフィー」は名曲なのだな、自分の感覚は間違っていない、と思ったのですが、そう思ったのは私だけではありませんでした。エピソードは、こう続きます。
すでに何曲ものヒット曲を書いていたにもかかわらず、私は依然として自分は世間をだましているのではないか、実際にはそんなに優秀でも独創的でもないのではないかという気持ちをぬぐえずにいた。けれどもマイルス・デイヴィスに〈アルフィー〉はいい曲だと言われたとき、そうした疑念が一気に晴れ、自力ではどうしても得られなかった自信を、ようやく得ることができたのである。(前掲書より)
大きな成功を収めたバカラックほどの音楽家でも、作品に自信がもてないということにもびっくりですが、それが、いくらアイドルとはいえ、マイルスの一言で霧散してしまうなんて(ちなみにマイルスはバカラックの2歳上)。逆にいえば、マイルスの「耳」はバカラックも認める「名曲評価基準」ということなんですね。
では、マイルスはバカラックの曲を演奏したかというと、少なくともレコーディングには残っていません。それどころか、バカラックが活躍しはじめた1960年代半ばのポップス全盛時代以降でマイルスがポップスの「ヒット曲」を取り上げたのは、わずか2曲です(「ヒット」ではないポップス曲はいくつかあります)。
その2曲とは、「タイム・アフター・タイム」と「ヒューマン・ネイチャー」。前者はシンディ・ローパーの1983年のヒット曲です(『シーズ・ソー・アンユージュアル』に収録)。後者はマイケル・ジャクソンの、同じく1983年のヒット曲(『スリラー』に収録)。マイルスは1985年のアルバム『ユーア・アンダー・アレスト』でこの2曲を取り上げ、「タイム・アフター・タイム」はシングル盤もリリースするほどの力の入れようでした。さらにレコードだけでなく、当時のライヴではいずれも盛んに演奏していました。
マイルスはこれらの「名曲」についてこう語っています。
メロディーは餌だ。オレはそいつを食って生きている。
出典は「マイルス・デイヴィス語録」である『マイルスに訊け!』(中山康樹著、イースト・プレス刊)。これは、優れた「メロディ耳」を持っているというマイルスの自信の表明ですね。「この発言は、80年代後半、シンディ・ローパーやマイケル・ジャクソンの曲をカヴァーした理由を質問したときのもの」ということですから、その2曲はマイルスがとくに認めたいいメロディ、ポップスの名曲ということになるでしょう。
たしかにいい曲ですよね。でも、バカラックの〈アルフィー〉とは同列ではないと直感します。そうです、この2曲は、ジャズではスタンダードにはなっていないのです。マイルスが演っているということでジャズの世界では有名ですが、(ほぼ)マイルスしか演っていないのです。ジャズにおいては、いいメロディだけではスタンダードにはならない、ということなのでしょうか。いや、それ以上にこれは、「他人がやったものはやらない」というマイルスの性格(イメージです)を表した好例と見るほうが面白いかもしれません。マイルスが〈アルフィー〉を演らなかったのは、ハーブ・アルパートというバカラックとつながりの深いトランペッターがいたから、だったりして。
アルパートは1968年にバカラック作曲の「ディス・ガイ」を歌って(!)ナンバーワン・ヒットにした、バカラック成功の立役者のひとりです(そのほかにもバカラックとは関係が深いのですがここでは省略)。と、書いてからアルパートのアルバムをチェックしてびっくり。2016年のアルバム『ヒューマン・ネイチャー』では、なんと「アルフィー」と「ヒューマン・ネイチャー」を演奏していました(アルパートは当時81歳)。まあ、これは「バカラックとマイルスをつなぐアルバム」などとは言いませんが、アルパートはメロディをとても大切にするスタイルだけに、メロディをめぐっての3人のストーリーを妄想したくなってきますね。
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文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。