文/池上信次

マイルス・デイヴィスの「編集もの」の紹介を続けます。前回(https://serai.jp/hobby/1088607)の『ビッチェズ・ブリュー』はふつうに聴けば編集を意識しませんが、今回紹介する『ジャック・ジョンソン』は、どう聴いても編集という作業を考えさせられるものでしょう。

マイルス・デイヴィスのアルバム『ジャック・ジョンソン』(以下アルバム)は、映画『ジャック・ジョンソン』(以下映画)の「サウンドトラック」アルバムで、1971年2月にリリースされました。映画のタイトルであるジャック・ジョンソン(以下ジョンソン)はアメリカのボクサーで、1878年生まれ1946年死去。初の黒人のヘヴィ級世界チャンピオンです。映画はその波乱の一生を描いたドキュメンタリー。

マイルスの自伝(『マイルス・デイヴィス自伝』中山康樹訳、シンコーミュージック・エンタテイメント刊)では、マイルスはアルバムを作るにあたって、ジョンソンのことをイメージして曲を書いたとありますが、実際は映画のための書き下ろし・録り下ろしではなく、それまでに録音してあった音源を使ったものとも伝えられています。中山康樹著『マイルスを聴け version7』(双葉社)には、プロデューサーのテオ・マセロは『ミュージシャン』誌のインタヴューで、「多忙中、しかも低予算、短納期での依頼だったので、マイルスはテオに全部任せ、そしてテオはそれまでに録音してあった音源を使った(大意)」と答えたとあります。いずれにしても、この映画音楽の制作を主導したのはテオ・マセロです。


マイルス・デイヴィス『ジャック・ジョンソン』(コロンビア)
演奏:マイルス・デイヴィス(トランペット)、スティーヴ・グロスマン(ソプラノ・サックス)、ハービー・ハンコック(キーボード)、ジョン・マクラフリン(ギター)、マイケル・ヘンダーソン(ベース)、ビリー・コブハム(ドラムス)ほか
録音:1970年2月、4月ほか
マイルス・デイヴィスのもっとも「ロック」な演奏が聴けるアルバム。このアルバムは、その後バンドの要となるマイケル・ヘンダーソン(当時19歳)の初参加セッションとなりました。


このアルバムは、(オリジナル)LPのA面が「ライト・オフ」、B面が「イエスターナウ」とタイトルされた、1面1曲各約25分の構成。いくつもの異なる演奏を「切り貼り」して作られています。「ライト・オフ」はシャッフル・ビートのファンク・ロックで始まり、幻想的なインタールードを挟んで、またロック、そしてのちに「ジャック・ジョンソンのテーマ」と名付けられる、執拗にくり返すリフ(このくり返しの一部もじつはコピペ)、そしてまたロックという流れ。「イエスターナウ」は、スロー・テンポから徐々に盛り上がる8ビートから唐突に「シュー/ピースフル」(既発表『イン・ア・サイレント・ウェイ』収録の音源)に繋がり、のちに「ウィリー・ネルソン」と名付けられるロックなリフへと続きます。そしてまったく雰囲気の違う暗いオーケストラに乗ったマイルスのソロになり、最後は「アイム・ジャック・ジョンソン、ヘヴィ・ウェイト・チャンピオン・オブ・ザ・ワールド……」というセリフがかぶせられて、終わり。

どちらの面も明確にパートが分かれているにもかかわらず、わざわざ連結させているのは、映画の場面構成や演出に合わせていたのだろうと思っていました。A面最初は映画のオープニングにふさわしいものですし、B面最後に入るセリフは、とても映画のエンディング的です。映画の長さはわかりませんが、AB面の間はカットされているのかなというくらいの認識でした。

では実際の映画はどうなっているのか、観て聴いてみました。この込み入った編集はどう映像とシンクロしているのか?

1908年12月26日、ヘヴィー級世界チャンピオンのトミー・バーンズ(左)と挑戦者ジャック・ジョンソンの歴史的タイトルマッチが開催されました。映画ではこの試合のシーンが登場します。試合中は歓声や実況で音楽はありませんが、開始直前まで「ライト・オフ」のマイルスのソロが雰囲気を高揚させます。
Unknown author, Public domain, via Wikimedia Commons

映画(原題『Jack Johnson』)はジム・ジェイコブス監督(フィルム上のクレジット)、1970年アメリカ公開のアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた作品。上映時間は88分。日本では1989年に劇場公開されました。VHS『史上最強のボクサー ジャック・ジョンソン』(大映)でチェックしました(未DVD化)。

映画は当時の試合やニュース、映画などの映像と写真を組み合わせて作られたもので、ナレーションとジャック・ジョンソンの独白(俳優ブロック・ピーターズ)でストーリーが進みます。そのバックに流れるのが、マイルスの「サウンドトラック」。映画の開始と同時に「ライト・オフ」がマイルスのソロから始まります。ボクシングのシーンにぴったり。そしてブロック・ピーターズがジャック・ジョンソンとなって、戦うこと、クルマ、女性、ファッションなどについて短いコメントが語られ、「これこそが人生さ」って、まるでマイルスじゃないか。そして次に来たのが、「アイム・ジャック・ジョンソン、ヘヴィ・ウェイト・チャンピオン・オブ・ザ・ワールド……」(俺は世界ヘヴィ級チャンプ、ジャック・ジョンソン。黒人だ。それだけは忘れさせてくれない。黒人で結構じゃないか。俺は永久に歴史に名前を残してやる。[字幕より。翻訳者クレジットなし])。えっ? なんと開始90秒で例のセリフが出てきてしまったのでした。あの言葉は、音楽から想像していた悲しいエンディングではなかったのです。

「ライト・オフ」とセリフのオープニングのあと、試合のシーンは音楽はなし。その次のシーンでは「シュー/ピースフル」が流れます。そして再び「ライト・オフ」。そのあとに流れるのはなんとびっくり、アルバムにはない「マイルス・ランズ・ザ・ヴードゥー・ダウン」(『ビッチェズ・ブリュー』に収録)ではありませんか。さらには「スパニッシュ・キー」(同前)まで登場。そしてラスト・シーンにもう一度、冒頭のセリフが入ります(ネタバレになるので書きませんが、少しだけ文言が違います)。が、ここでも音楽はアルバムのオーケストラではなく、「スパニッシュ・キー」なのです。

というわけで、アルバムの音源は使われていますが、『ビッチェズ・ブリュー』の2曲も長く使われていたりと、アルバムで行なわれている「編集」は映画とは関係のないものなのでした。そう考えると、冒頭の「多忙・低予算・短納期」の部分は、おそらく「有りもの」素材を提供するというところまでで、アルバムは映画で使われた楽曲を使って、映画とは別にストーリー仕立てに編集したというものではないでしょうか。短納期でこんな複雑な編集は難しいと思いますし(「編集素材集」であるボックス・セットの解説には「フランケンシュタイン・トラック」とまで書かれています)、そもそも映画のためには編集は必要がなかったわけですから。

あらためてアルバムのジャケットを見ると、初版の映画のイメージ・イラストが使われているジャケットでは『Jack Johnson – Original Soundtrack Recording』というタイトルで、その後差し替えになったマイルスがカヴァーの現行デザイン版でのタイトルは『A Tribute to Jack Johnson』となり、「サウンドトラック」とは書かれていません。ここからは想像ですが、これはもともとは映画への楽曲提供をきっかけに作った「ジャック・ジョンソン一代記」をテーマにしたマイルスの「新作」だったのではないでしょうか。映画に提供したのは「有りもの」とはいえ、「ライト・オフ」セッションは最新録音の新機軸ですから、サントラの使用だけで終わらせるのはもったいない。そしてテオはがんばって「もうひとつのジャック・ジョンソン」を作った、と。でもレコード会社は映画のヒットにあやかろうと、映画のイメージ・イラストをジャケットにして「オリジナル・サウンドトラック」(違いますよね)として出し、そしてマイルス激怒でジャケットとタイトルが差し替えられた。というストーリーはどうかな(ちなみにアルバムは『ビルボード』一般チャート159位、ジャズ・チャート4位のヒットを記録しました)。

いきさつはどうあれ、映画のボクシングやカーレースのシーンで流れる「ライト・オフ」は最高にかっこいい。オリジナルのライナーノーツで、マイルスが「テオがまたやってくれたぜ!」と書いているのもさもありなんというところです。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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