はじめに-羽柴秀長とはどんな人物だったのか?
羽柴秀長(はしば・ひでなが)とは、安土桃山時代の武将で、秀吉の実の弟です。譜代家臣を持たない秀吉に早くから仕え、天正2年(1574)の「長島一向一揆」や天正5年(1577)に始まった「但馬攻め」など、数々の戦に従軍し、秀吉を支えました。
兄に似て非常に頭が良く、かつ腰が低かったとされる秀長。秀吉から絶大な信頼を置かれていたそうですが、実際の羽柴秀長はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、秀吉の良き理解者で、天下統一に大きく貢献した人物(演:佐藤隆太)として描かれます。
目次
はじめに―羽柴秀長とはどんな人物だったのか?
羽柴秀長が生きた時代
羽柴秀長の足跡と主な出来事
まとめ
羽柴秀長が生きた時代
羽柴秀長は、天文9年(1540)に生まれます。秀吉の生母・仲(なか)と、その再婚者である竹阿弥(ちくあみ)の子と言われることもありますが、出生年に矛盾が生じるため、おそらく父親も秀吉と同じ弥右衛門(やえもん)であると考えられています。
百姓の子として、尾張国(現在の愛知県)で生活していた秀長。兄である秀吉が、信長に仕えるようになってから、運命が大きく変わることとなります。秀吉を支えるべく、秀長は武士として生きることを決意するのです。
羽柴秀長の足跡と主な出来事
羽柴秀長は、天文9年(1540)に生まれ、天正19年(1591)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。
秀吉に仕える、数々の戦に従軍する
秀長は、天文9年(1540)、尾張国中村の百姓家に生まれます。小一郎という名を名乗り、百姓として生活していた秀長。兄の秀吉が織田家に仕官したことをきっかけに、秀長自身も武士として生きることを決意します。
秀長は兄の補佐役に努め、秀吉も心優しく機転が利く弟のことを大変可愛がったそうです。秀吉の良き理解者として、彼を献身的に支え、秀吉とともに数々の戦に従軍することとなります。天正2年(1574)の「長島一向一揆」では、丹羽長秀(にわ・ながひで)や前田利家らと先陣を切って戦いました。
さらに、天正5年(1577)の「第一次但馬攻め」、天正8年(1580)の「第二次但馬攻め」では、総大将を務めることに。この戦いでの功績を称えられ、秀長は出石城(いずしじょう、現在の兵庫県豊岡市にあった城)の城代になりました。
また、「但馬攻め」は秀吉と秀長の見事な連携が功を奏した戦いとして知られており、ほかにも二人が協力して乗り越えた戦いは複数あります。以心伝心という言葉がぴったりな二人だったと言えるのではないでしょうか?
【「四国攻め」の総大将を務める。次ページに続きます】