はじめに-織田信雄とはどんな人物だったのか?

織田信雄(おだ・のぶかつ)は、戦国時代に生きた武将で、織田信長の次男です。永禄12年(1569)、信長が伊勢国(現在の三重県)に侵攻し、北畠氏と交戦した戦いの和睦条件として、信雄は北畠氏の養子になることが決まります。これにより、信雄は織田家を離れ、北畠氏の養子として過ごすことになりました。

天正3年(1575)北畠家の家督を譲り受けた信雄は、その翌年、信長の命で北畠一族を粛清します。大規模な粛清により、伊勢国の掌握に成功した信雄は「雑賀攻め」や「石山合戦」など、信長とともに戦い抜きました。

しかし、信長に無断で伊賀に出陣したり、家康の旧領への移封を拒否したりと、度々問題行動を起こしては周囲を困惑させています。

信長から絶縁されそうになり、さらには秀吉の怒りを買って、二度も改易処分になっているのです。迷走し続けた「愚将」と言われることも多いですが、実際の織田信雄はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

目次
はじめに―織田信雄とはどんな人物だったのか?
織田信雄が生きた時代
織田信雄の足跡と主な出来事
まとめ

織田信雄が生きた時代

群雄割拠の戦国時代。信雄は、一時代を築いた人物・織田信長の次男として誕生します。信長が、桶狭間の戦いで今川義元を破り、脚光を浴びたのは信雄が誕生して2年後の永禄3年(1560)ことでした。

織田信雄(総見寺蔵)

織田信雄の足跡と主な出来事

織田信雄は、永禄元年(1558)に生まれ、寛永7年(1630)に没しました。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

信長の次男として生まれる

信雄は、永禄元年(1558)、信長と側室・生駒の次男として生まれます。幼名は「茶筅丸(ちゃせんまる)」で、信長はほかにも「奇妙丸」や「五徳」など、自分の子どもに風変わりな名前をつけていることで有名です。

信雄が12歳の頃、信長は伊勢の北畠氏と交戦し、大河内(おかわち)城を攻撃しました。この戦いの後、和睦条件として、信雄を北畠氏の養子にすることに。これにより、信雄は北畠氏の養子となり、大河内城に預けられることになったのでした。

元亀3年(1572)、15歳になった信雄は元服し、その翌年には北畠家の家督を譲り受けます。権力を手にした信雄は、その翌年、信長の命で北畠一族をことごとく謀殺していきました。

これにより、伊勢を掌握することになった信雄は、天正5年(1577)、信長とともに「雑賀攻め」に出陣。その後、信長に代わって戦いの指揮を執った兄・信忠(のぶただ)を支え、伊勢と大和(現在の奈良県)の一部を支配するようになったのです。

雑賀付近での雑賀衆と信長軍の攻防戦の様子を描いたもの(紀伊国名所図会)

信長から絶縁されかける。次ページに続きます

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