文/池上信次

2023年6月5日、ヴォーカリストのアストラッド・ジルベルトが亡くなりました。アストラッド・ジルベルトは、1940年3月29日、ブラジルのバイーア州サルバトーレ生まれ。ボサ・ノヴァの創始者のひとり、ジョアン・ジルベルト(ギター、ヴォーカル)と結婚後(のちに離婚)、1963年にアメリカで、スタン・ゲッツ(テナー・サックス)とジョアンの共演作『ゲッツ/ジルベルト』に参加。そこで歌った「イパネマの娘」が世界的ヒットになったことで知られます。


スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト『ゲッツ/ジルベルト』(Verve)
演奏:スタン・ゲッツ(テナー・サックス)、ジョアン・ジルベルト(ヴォーカル、ギター)、アントニオ・カルロス・ジョビン(ピアノ)、トミー・ウィリアムス(ベース)、ミルトン・バナナ(ドラムス)、アストラッド・ジルベルト(ヴォーカル)
録音:1963年3月18、19日
世界中にボサ・ノヴァ・ブームを巻き起こした名盤。全米アルバム・チャートで2位を記録し、シングル・カットされた「イパネマの娘」も5位の大ヒットとなりました。プロデューサーはジャズ界随一のヒット・メーカーであるクリード・テイラー。アストラッドは「イパネマの娘」「コルコヴァード」の2曲を英語で歌っています。

さて、「イパネマの娘」といえば、この伝説。「ジョアンの妻で、音楽経験のない専業主婦のアストラッドが、ジョアンのレコーディング・スタジオに同行して、そこでたまたま歌った歌が気に入られて『イパネマの娘』を録音。その結果は大ヒット」。伝説ゆえ細部が違うヴァージョンも多々ありますが、このジャズ界有数のシンデレラ・ストーリーは、ジャズ・ファンなら一度は耳にしたことがあると思います。このエピソードは『ゲッツ/ジルベルト』の日本発売当時(1964年11月)のころから、メディアではしっかりと活字で伝えられてきており、半ば「ジャズの常識」的にも思われてきていました。

その後研究・検証も進み、1990年に著された『ボサノヴァの歴史』(ルイ・カストロ著、国安真奈訳、音楽之友社、2001年刊)では、アストラッドの「音楽は素人」説は否定され、また「レコーディングの2日目に、突然アストラッドが歌わせて欲しいと言い張った」という記述もあり、まあ伝説は伝説であるという見方がある一方、一度流布した伝説の力は強大で、未だ「更新」されることなくあちこちで紹介され続けています。

さすがに訃報記事でその「伝説」までは紹介されませんが、これを機会にあらためて検証してみることにしました。かたっぱしから資料に当たってみたところ、なんとこれについて、アストラッド本人が語っているではありませんか。アストラッドの公式サイトでは、2002年に行われた長いインタヴューが公開されています(公開日不詳)。「あなたが20年近くインタヴューに応じていないのはなぜですか?」に始まる、まさに衝撃の告白です。

要旨を抜粋すると、「イパネマの娘」以前の音楽活動については、「ナラ・レオンら仲間たちと音楽活動をし、ジョアンとも日々セッションをしていた」とあります。素人説の否定です。そして「イパネマの娘」レコーディングについては、「『イパネマの娘』を歌うのはジョアンが仕掛けたサプライズだった。レコーディング前日のリハーサルで、ジョアンは突然私に『イパネマの娘』を英語で歌うよう指示し、その歌の後、ジョアンは拙い英語でスタンに、明日の録音に私が参加するのはどうかと聞いた。スタンは素晴らしいアイデアだと返答した」と。また違うぞ。さらに、「私が成功したあとに、スタンやクリードが『ただの主婦』だった私を『発見』したという言説が流れたがそれは嘘であり、とても腹立たしいこと」「『主婦』が突然有名な歌手になるというアイデアは、ヴァーヴ・レコードにとって、よい販売促進キャンペーンだった(笑)。だから『発見』したのがスタンだったりクリードだったりと、そのストーリーは一貫していない」。なるほど、それでいろんなヴァージョンがあるのか。もちろん彼女も黙ってはおらず、「何度もインタヴューで真実を話したが、とてもシンプルな話なのでインパクトがなかったのでしょう(結局伝えられていない)」と続きます。つまり「伝説はすべてプロモーション用の作り話」というわけでした。当事者中の当事者なので、もっとも信憑性の高いものだと思います。

それでも疑問の残るのは、アストラッドはこのアルバムで「イパネマの娘」のほかに「コルコヴァード」を英語で歌っていること。英語歌詞はジーン・リーズによるものですが、リーズはアストラッドのベスト盤CD『Verve Jazz Masters』のライナーノーツにこう書いています(1993年6月記)。「クリードはジョアンらの参加するレコーディング・セッションを企画し、そこに英語の歌もほしいと思っていたが、ジョアンは英語では歌えなかった。スタジオにはアストラッドがいて、彼女は英語が話せ、英語で歌えた。そこでクリードは彼女に私(ジーン・リーズ)とジョビンが書いた曲を歌わせた」(要約)と。最後の文は「Creed pressed her into service…」なので、クリードの強い指示という感じです。また、前出『ボサ・ノヴァの歴史』には、録音の数週間前にアストラッドがアメリカのライヴで「イパネマの娘」を英語で歌っていたという記述もあります。録音はサプライズだったとしても、アストラッドのアメリカ・デビューは既定路線だったとも見えます。

もう、ここで紹介した人たちは誰もこの世におらず確かめる術もないので、以下は想像。クリードは、それまでのゲッツとジョビンの成功を踏まえ(ふたりともヴァーヴでアルバムをリリース)、ボサ・ノヴァ「決定版」となるべく本家ジョアンをフィーチャーしたアルバム制作を計画。しかしポルトガル語の歌ではアメリカ市場に食い込めないと考え、英語のヴォーカリストも入れることをジョアンに提案し、ジョアンは妻のアストラッドを推薦。ゲッツも了承したので、英語歌詞を2曲準備し(2曲ならシングルのAB面になる)、レコーディングは「予定通りに」進められた、といったあたりでしょうか。これならじつにクリードらしいプロデュース・ワークだと納得できてしまうのですが、伝説にはならないですよね。そこでクリードはバズらせるためのネタを仕込んだ、と。これも(これこそ?)名プロデューサーの要件ということなのでしょう。となると、レコーディング中はジョアンとゲッツが対立し険悪なムードだったという、もうひとつの伝説もはたして真実なのかどうか……。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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