文/池上信次
第207回(https://serai.jp/hobby/1129596)で「ビートルズのジャズ・カヴァー」について紹介しましたが、そのときに資料をチェックしていて面白い発見をしました。まず、特別なことではありませんが、その音楽の性格からか、ジャズ・ギタリストによるビートルズ・カヴァーは他の楽器奏者に比べて多いということがひとつ。そしてジョン・スコフィールド、ビル・フリゼール、パット・メセニーの3人もそこに含まれるのですが、なんといずれも2011年の録音なのです。さらに驚いたのは、その翌年から翌々年にかけてアル・ディ・メオラとアール・クルーもビートルズ・ナンバーを録音しているのでした(録音日クレジットがないものは発売日から推定)。
《ビートルズ・カヴァー曲収録アルバム》
パット・メセニー『ホワッツ・イット・オール・アバウト』(Nonesuch)
「アンド・アイ・ラヴ・ハー」収録。2011年2月録音。
ジョン・スコフィールド『ア・モーメンツ・ピース』(EmArcy)
「アイ・ウィル」収録。2011年5月2日発売。
ビル・フリゼール『オール・ウィ・アー・セイイング』(Savoy Jazz)
ジョン・レノン曲集(半分がビートルズ時代)。2011年6月〜7月録音。
アル・ディ・メオラ『オール・ユア・ライフ』(in-akustik)
ビートルズ曲集。2012年5月、10月、2013年2月録音。
アール・クルー『ハンド・ピックド』(HeadsUP)
「イフ・アイ・フェル」収録。2013年7月30日発売。
ここに挙げた5人は同世代、みな10代半ばはビートルズが音楽界を席巻していた時代です(生年月日は、ビル・フリゼール:1951年3月18日/ジョン・スコフィールド:1951年12月6日/アール・クルー:1953年9月16日/アル・ディ・メオラ:1954年7月22日/パット・メセニー:1954年8月12日)。ギターを弾き始めたころには絶対にビートルズを弾いていたでしょうし、ギターに限定しなくてももっとも耳にしていた音楽のひとつだったはずです。彼らのビートルズからの影響は大きなものだったということは容易に想像できますし、それを公言している人もいます。ただ、ビートルズ・ナンバーは広く知られているとはいえジャズ・スタンダードのように頻繁に録音されるわけではなく、むしろ「特別感」のある曲として扱われています。どうして2011年に録音が集中しているのでしょうか?
当時のビートルズの周辺事情はというと、2011年は結成50年の1年前で、正式解散の41年後という、メモリアル・イヤーとは微妙にずれている年です。著作権関連も変化なし、CDはいくつかリマスター盤が再発されたくらいです。ほかには……おっと2010年11月に「iTunesStoreで初のダウンロード販売開始」があった。これかな?
Appleは2010年11月16日のネット広告で「明日、いつもと同じ一日が、忘れられない一日になります」と、内容紹介のない謎の予告をし、翌11月17日午前0時(日本時間)に突然ビートルズ音源の全世界配信発売が始まったのでした。iTunesからのダウンロード音源販売は2003年から始まっており、2010年にはすでに広く使われていましたが(聴くのは携帯音楽プレイヤーのiPod)、ビートルズのデジタル版音源はそれまで世に出ていなかったのです。
これだ! この配信販売開始は、とくにビートルズ世代にとっては特別なニュースだったのではないでしょうか。今なら「人気の○○○○、ついにサブスク解禁!」といった感じですね。メセニーらはビートルズのデジタル配信開始(まさに解禁です)を知り、さっそくダウンロードしてiPodに入れて聴き、そしてあらためてビートルズから受けた10代の衝撃を思い出し、次のアルバムに入れたくなった、あるいはアルバムの企画を考えた、と。そして実行された結果がこの形になった、と。まあ、実際のところはわかりませんが、間接的なきっかけのひとつくらいにはなった気がしますが、どうでしょうか。次のこんな小さな「流行」は、今iPhoneで聴いているサブスクから生まれるかも。
文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。