文/池上信次

今回は、第127回(https://serai.jp/hobby/1044010)からの「エヴァンスの真の愛奏曲」の考察を続けます。愛奏曲第1位が「ワルツ・フォー・デビイ」、そして第2位が「サム・アザー・タイム」と紹介しましたが、じつは正確にいうと間違いでした。というのは、現在CD『エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス』に収録されている同曲は、1984年に初めて発表されたものでしたので、エヴァンスの生前に発表した演奏という条件から外れます。しかし、ちょっと拡大解釈すると間違いではありません。

ビル・エヴァンス『エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス』(リヴァーサイド)
演奏:ビル・エヴァンス(ピアノ)、サム・ジョーンズ(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラムス)
録音:1958年12月15日
エヴァンス2枚目のリーダー作。トリオ演奏と、「ピース・ピース」「サム・アザー・タイム」などのソロ・ピアノの両方を収録。

『エヴリバディ・ディグズ・ビル・エヴァンス』には、「ピース・ピース(Peace Piece)」というエヴァンスのオリジナル曲が収録されていますが、その曲はもともと「サム・アザー・タイム」のイントロとしてエヴァンスが演奏したものなのでした。その演奏中にエヴァンスは、これを独立した新曲にしようと考えたというのです。そしてそのあと、別に「サム・アザー・タイム」も演奏・録音しましたが、結局アルバムにはその自作の新曲とした「ピース・ピース」だけを収録した、ということがその解釈の理由です。「ピース・ピース」はエヴァンスの名演として知られますが、「サム・アザー・タイム」の別ヴァージョンというべき演奏なのです。

このエピソードは当時のプロデューサーであるオリン・キープニューズが、1984年リリースのエヴァンスのボックス・セット『コンプリート・リヴァーサイド・レコーディングス』の解説で明かしています。このテイクはその後、1987年からCD『エヴリバディ・ディグズ〜』のボーナス・トラックとして収録されています。

さりげなくその種明かしをしている演奏がありました。クロノス・カルテットは1985年録音のエヴァンス曲集で「ピース・ピース」を演奏していますが、その最後に「サム・アザー・タイム」のメロディの断片が出てきます。プロデューサーは同じキープニューズなので、何かしらアドヴァイスがあったのかもしれません。

クロノス・カルテット『ミュージック・オブ・ビル・エヴァンス』(ランドマーク)
演奏:クロノス・カルテット[デイヴィッド・ハリントン(ヴァイオリン)、ジョン・シャーバ(ヴァイオリン)、ハンク・ダット(ヴィオラ)、ジョーン・ジャンルナード(チェロ)]
録音:1985年
弦楽四重奏でエヴァンス作曲作品を演奏。曲によってはエディ・ゴメス(ベース)とジム・ホール(ギター)という、エヴァンスゆかりのジャズマンが参加しています。

この両曲のエヴァンスの演奏で特徴的なのは、全編に流れるオスティナート。このくり返されるリズム/コード・パターンはとても印象的です。「サム・アザー・タイム」のオリジナルは、1944年のブロードウェイ・ミュージカル『オン・ザ・タウン』で発表された楽曲です。作曲はレナード・バーンスタイン。ヒット・ミュージカルなので、オリジナル・キャストによる音源も発表されていますが、聴いてみるとリズム的にはこれといった特徴はありません。あのオスティナートはエヴァンスのアレンジによって生まれたものだったのです。それこそがエヴァンスが演奏するこの曲の魅力ですので、自作の新曲としたのも当然のなりゆきだったのでしょう。

そこで疑問がひとつ。エヴァンスはどうしてこの「自作新曲」を、その後は「サム・アザー・タイム」として演奏し続けたのでしょうか。トニー・ベネット、そしてモニカ・ゼタールンドとの共演作については、ヴォーカリストとの共演なので理由は「歌詞」にあると想像できます(ちなみに歌詞はベティ・コムデン&アドルフ・グリーンという、ミュージカルの名コンビ)。もちろん、いずれもアレンジはそのオスティナートを使ったものです。でもエヴァンスが最初の「ピース・ピース」の次にこの曲を録音した1961年録音のライヴ盤『ワルツ・フォー・デビイ』では、「サム・アザー・タイム」を演奏しているのです。これはピアノ・トリオでの演奏なので、そのためのアレンジを加えて、エヴァンス作曲「ピース・ピース」としてもよかったのではないかと思うのです。エヴァンスの「サム・アザー・タイム」は、ほとんどこのオスティナートが曲の印象を決定づけているのですから。

ここからは例によって想像ですが、これはきっとエヴァンスの、バーンスタインに対する敬意なのでしょう。「サム・アザー・タイム」という曲がなければ、このオスティナートは閃かなかったから、と。調べてみると「サム・アザー・タイム」を取り上げているジャズマンは多くはありません。また演奏している人も多くはエヴァンスのアレンジを元ネタにしています。ジャズ曲としての「サム・アザー・タイム」は、エヴァンスの数々のヴァージョンによって広まったことは間違いないところです。

ちなみに、耳のいい方はお気づきだと思いますが、エヴァンスが参加したマイルス・デイヴィスのアルバム『カインド・オブ・ブルー』収録の「フラメンコ・スケッチズ」でも、エヴァンスはこのパターンを演奏しています。それがなければあの名曲・名演は成り立たなかったので、遡ると、バーンスタインがいなかったら「フラメンコ・スケッチズ」も無かったんですね。というのは飛躍しすぎかもしれませんが、エヴァンスの影響力はじつに大きなものだったのです。

ブロッサム・ディアリー『シングズ・コムデン・アンド・グリーン』(ヴァーヴ)
演奏:ブロッサム・ディアリー(ヴォーカル、ピアノ)、ケニー・バレル(ギター)、レイ・ブラウン(ベース)、エド・シグペン(ドラムス)
録音:1959年4月8日、9日
「ジャスト・イン・タイム」「ロンリー・タウン」などジャズ・スタンダードにもなっている数々のミュージカル名曲を作った作詞家チーム、コムデン・アンド・グリーン作品集。「エヴァンス以前」の「サム・アザー・タイム」が聴けます。これはこれで名曲なのです。

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『ダン・ウーレット著 丸山京子訳/「最高の音」を探して ロン・カーターのジャズと人生』『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(ともにシンコーミュージック・エンタテイメント)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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