文/池上信次

外から見たジャズ(文末参照)」の続きです。今回はザ・ビートルズ(以下ビートルズ)。1960年代半ば、ビートルズの登場と大ヒットによりレコード会社はポップスを優先し、ジャズ・ミュージシャンはレコード契約をリストラされるなど、厳しい状況だったと伝えられています。しかしジャズ・ミュージシャンはたくましく、逆にその「波」に乗るべくポップスの世界に接近。新たな方向を模索しました。当時のジャズ・ミュージシャンによるビートルズ楽曲のカヴァーはその状況の象徴です。その中でよく知られるもののひとつが、エラ・フィッツジェラルドの「キャント・バイ・ミー・ラヴ」。イギリスではシングルでリリースされ、チャート34位のヒットになりました。


エラ・フィッツジェラルド『ハロー・ドーリー』(ヴァーヴ)
演奏:エラ・フィッツジェラルド(ヴォーカル)
録音:1964年3月3日、4日、4月7日
ビッグバンドをバックにした「キャント・バイ・ミー・ラヴ」を収録(シングル記載のクレジットによれば、アレンジと指揮はジョニー・スペンス)。この曲の録音は1964年4月7日(ロンドンにて)なのですが、ビートルズがこの曲のシングルをアメリカでリリースしたのが3月16日。なんとそのわずか3週間後に録音しているのでした。

こういった「ビートルズ・カヴァー」について、当人たちはどう見ていたのでしょうか。この「キャント・バイ・ミー・ラヴ」について、書籍『THE BEATLES アンソロジー』(日本語版:斎藤早苗監修、リットーミュージック/2000年)に興味深い発言が載っています。同書はビートルズのメンバーの当時最新の回顧インタヴュー集(ジョン・レノンは過去のアーカイヴから収載)です。その1965年の項でポール・マッカートニーはこう語っています。

11月に『ザ・ミュージック・オブ・レノン&マッカートニー』というテレビ番組を収録したんだ。僕らが作った曲を他のスターたちに歌ってもらうっていう(中略)企画だった。(中略)僕らは最初あまり乗り気じゃなかったんだけど(中略)僕らとは長いつきあいのシラ・ブラックも出演して歌うっていうし、ヘンリー・マンシーニも僕らの曲を演奏してくれるっていうしね。ヘンリーほどのスターに演奏してもらえるのはすごく光栄なことだったから、断るなんてことはできなかったよ。

このあと、その出演者たちについてのコメントが続くのですが、そこでエラについても言及します。

エラ・フィッツジェラルドも出演してくれた。彼女は僕らとは正反対の歌手だけど、僕らの曲を歌ってくれたのはやはり光栄なことだった。彼女は〈キャント・バイ・ミー・ラヴ〉を歌ったんだ。僕は昔から彼女のファンだった。とにかくすばらしい声をしているんだ。

と、エラを高く評価しています。


カウント・ベイシー・オーケストラ『ベイシーズ・ビートル・バッグ』(ヴァーヴ)
演奏:カウント・ベイシー・オーケストラ
録音:1966年5月3〜5日
ビートルズ絶頂期に録音されたビートルズ曲集。収録曲はビートルズ・ナンバー11曲と、リトル・リチャードの演奏で知られ、ビートルズがカヴァーした「カンサス・シティ」(ベイシー・オケはカンザスシティで結成)。楽しい「企画もの」ですが、それまで15年に及んだヴァーヴ・レコードとの契約はこれが最後となりました。

そして、ポールはこう締めくくります。

僕らの曲はいろんなミュージシャンがカバーしているけど、自分の曲のカバー・ヴァージョンが出るのは悪い気はしないね。(中略)だって、僕らの曲を気に入ってくれたってことだからね。だからカバー・ヴァージョンを聴いて、笑っちゃうことはあっても、嫌な気分になったことは一度もない。すばらしいものもあるし、そうでないものもあるけどね。レイ・チャールズやエスター・フィリップスのカバーはほんとにかっこいいんだ。(中略)『カウント・ベイシー・プレイズ・ザ・ビートルズ』(ママ)もすごいと思う。こういうカバーは僕らもすごく真剣に聴くし、大好きなレコードだ。楽しんで聴き流しちゃうカバーもあるけどね。

ポール・マッカートニーは2012年にジャズ・アルバム『キス・オン・ザ・ボトム』を作っているほどなので、今ではうなずいてしまいますが、当時のイメージでは「ジャズ好き」は意外に思えたのではないでしょうか。そのあとにはジョン・レノンの発言(1964年のアーカイヴ)が紹介されています。

(フランク・)シナトラがカバーしたのは、もはや僕らの曲じゃないね。ボーカルもバンドのアレンジも、僕の好きなシナトラの曲そのものになっている。ペギー・リーは完全にロックン・ロールだね、毎日ずっと聴いていても飽きないよ。エラ・フィッツジェラルドもすごい。彼女がどうしてこんなに人気があるのか、僕はずっと理解できなかったんだけど、ある歌を聴いていて“これはすごい!”って感動したら“エラ・フィッツジェラルドだよ”って言われたんだ。信じられなかったよ。てっきりリズム&ブルースのシンガーだと思ったからね。

ジョンもシナトラやペギーを聴き、エラを高く評価していたんですね。ただ、1970年には「(前略)インテリっぽい音楽は好きじゃないね。クラシック音楽やモダン・ジャズが嫌いな理由は同じ。ああいう音楽を取り巻く連中が気に入らないんだ」(『rockin’ on』2011年5月号「ジョン・レノン・インタヴュー1970」高見展訳)と、「ジャズ嫌い」ととれる発言も残しています。モダン・ジャズとジャズ・ヴォーカルは別ということなのかもしれません。

リンゴ・スターは、カウント・ベイシーが『ベイシーズ・ビートル・バッグ』の後にもう1枚出したビートルズ・カヴァー集『ベイシー・オン・ザ・ビートルズ』(ハッピータイガー/1970年発表)のライナーにコメントを寄せています。

1969年10月1日、私はカウント・ベイシーに、今作っているアルバムで歌うために〈ナイト&デイ〉をアレンジしてもらえないかと尋ねました。そして5日後、完全なスコアが到着しました。カウントに感謝します。ジョン、ジョージ、ポールは、あなたが自分たちの曲を演奏してくれたことに感謝しており、またこれにより音楽家間の障壁が下がったことを喜んでいます。友達のちょっとした助けがあれば(※)、みんなが音楽でいい気持ちになれます。この素晴らしいアルバムは、たくさんの人に喜びをもたらすことでしょう。
(一部抜粋:筆者訳。※With a little help from our friends…/「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の歌詞のもじり)

そのリンゴのアルバムとは、ビッグバンドをバックにしたジャズ・スタンダード集『センチメンタル・ジャーニー』(アップル)。アレンジはベイシー・オケにたくさんのアレンジを提供していたチコ・オファリル。初のソロ作がこれですから、リンゴの「ジャズ好き」は推して知るべしというところ。

ジョージ・ハリスンのジャズがらみのエピソードは見つけることができませんでしたが、ビートルズは「ジャズ好き」のグループだったといえそうです。

外から見たジャズ
あのパンク・ロッカーはジャズをどう聴いていたのか?【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道205】https://serai.jp/hobby/1127076
マイルス・デイヴィス、スティングに無茶振りする【ジャズを聴く技術 〜ジャズ「プロ・リスナー」への道206】https://serai.jp/hobby/1127977

文/池上信次
フリーランス編集者・ライター。専門はジャズ。ライターとしては、電子書籍『サブスクで学ぶジャズ史』をシリーズ刊行中。(小学館スクウェア/https://shogakukan-square.jp/studio/jazz)。編集者としては『後藤雅洋著/一生モノのジャズ・ヴォーカル名盤500』(小学館新書)、『小川隆夫著/マイルス・デイヴィス大事典』(シンコーミュージック・エンタテイメント)、『後藤雅洋監修/ゼロから分かる!ジャズ入門』(世界文化社)などを手がける。また、鎌倉エフエムのジャズ番組「世界はジャズを求めてる」で、月1回パーソナリティを務めている。

 

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