はじめに-奥平信昌とはどんな人物だったのか?

奥平信昌(おくだいらのぶまさ)は、美濃国(現在の岐阜県)加納(かのう)城主を務めた、家康の娘婿です。家康に仕え、元亀元年(1570)の「姉川の戦い」で初陣を飾りますが、一時は武田氏の圧力に屈してしまいます。

その後、家康に帰参し、三河の長篠城の守備を任されることに。天正3年(1575)の「長篠の戦い」では、武田勝頼率いる大軍に包囲されながらも、決死の覚悟で城を守り抜きました。

天正12年(1584)の「小牧・長久手の戦い」や、慶長5年(1600)の「関ケ原の戦い」にも従軍した信昌。数々の戦功をあげたことから、強さと賢さを兼ね備えた武将というイメージが浮かびますが、実際の奥平信昌はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。

2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、家康の長女・亀姫が嫁いだ、心優しい長篠城の城主(演:白洲迅)として描かれます。

目次
はじめに―奥平信昌とはどんな人物だったのか?
奥平信昌が生きた時代
奥平信昌の足跡と主な出来事
まとめ

奥平信昌が生きた時代

奥平信昌は、弘治元年(1555)に生まれます。信昌が生まれた頃の三河国は、今川氏や松平氏、武田氏などの有力大名らが、互いに勢力拡大を図っていました。信昌は家康に仕えるようになった後、父とともに「姉川の戦い」に従軍することとなります。

しかし、奥平氏の本領である奥三河の地は、次第に武田氏の勢力に脅かされていきます。信昌は武田氏に屈し、結婚して間もない妻を人質として武田方に送ることに……。強い勢力に翻弄されながらも、そうした事態を上手く切り抜けていき、のちに、美濃国加納10万石に転封されるほどの実力者へと成長するのです。

奥平信昌像(久昌院蔵)

奥平信昌の足跡と主な出来事

奥平信昌は、弘治元年(1555)に生まれ、元和元年(1615)に没しました。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。

奥平貞能の子として生まれる

奥平信昌は、弘治元年(1555)、奥三河の豪族・奥平貞能(さだよし)の長男として生まれます。初名は定昌(さだまさ)で、幼少の頃から父とともに家康に仕えていたそうです。元亀元年(1570)の「姉川の戦い」で初陣を飾り、家康に与して戦いました。

家康の家臣として仕えていたものの、定昌のいた奥三河の地は、次第に武田氏の勢力が強くなっていきました。武田氏が三河に侵攻し始めると、奥平家は武田側に味方するように。この時、定昌は結婚したばかりの妻を人質として送っています。

信玄の死後、定昌は再び家康の家臣となり、家康から長篠城(現在の愛知県新城市にあった城)の守備を任されました。一方、定昌が寝返ったことを知った勝頼は、人質として預かっていた定昌の妻を殺害してしまいます。また、家康は帰参の条件として、娘の亀姫との婚約を提示したそうです。

長篠の戦いで、徳川軍を大勝に導く。次ページに続きます

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