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カウント・ベイシー・オーケストラ|最高のスイングでヴォーカルを牽引【ジャズ・ヴォーカル・コレクション49】

文/後藤雅洋

今号はビッグ・バンド・ジャズの雄、カウント・ベイシー・オーケストラとヴォーカルの共演がテーマです。まずはビッグ・バンド・ジャズの歴史を振り返ってみましょう。

この記事は、第49号「カウント・ベイシー・オーケストラ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)からの転載です。

ダンス音楽にジャズ注入

ジャズの歴史を紐解くと、19世紀末にニューオルリンズでジャズが始まったと書かれています。しかしジャズはクラシックのように譜面によって記録することが難しい音楽なので、レコードによる記録が始まる以前はどんな音楽だったのかは、ほんとうのところはよくわかっていません。昨年2017年が「ジャズ100年」とされているのは、初めてのジャズ・レコードの録音が1917年に行なわれてから100年目を記念してのことでした。つまり、レコードによる「音の記録」が残っていない、誕生したころの「ジャズ」の実態は定かではないのですね。

しかしニューオルリンズで活躍していたジャズ・ミュージシャンたちが、だいたいどんな楽器編成だったのかはわかっています。それは1920年代から活躍し、「ジャズの父」と呼ばれたニューオルリンズ生まれのトランペット奏者、ルイ・アームストロングの5人編成のバンド「ホット・ファイヴ」や、同じく7人編成の「ホット・セヴン」に受け継がれています。どちらのバンドも、ルイのトランペットに、クラリネット奏者とトロンボーン奏者の3人のホーン奏者が立役者で、それにピアノ、ベース、ドラムス、あるいはバンジョーなどが「リズム・セクション」として加わった、比較的小規模なグループです。

他方、20年代のニューヨークでは、ダンスの伴奏をするもう少し人数の多い「ダンス・バンド」が流行していました。有名なフレッチャー・ヘンダーソンなどのダンス・バンドです。こちらはそれぞれ数人のトランペット奏者、トロンボーン奏者にサックス奏者たちによるホーン奏者たちが中心で、それをピアノ、ベース、ドラムスなどのリズム・セクション を支える10名を超える大所帯。いわゆる「ビッグ・バンド」です。しかしこの「ダンス・バンド」がジャズのビッグ・バンドになるには、ルイ・アームストロングの力が必要でした。ニューオルリンズからシカゴを経由してニューヨークに進出したルイが、ヘンダーソンのバンドにジャズのスピリットを注入したのです。

ジャズの塊、ベイシー

その後30年代に入ると、白人クラリネット奏者、ベニー・グッドマン率いるスイング・ビッグ・バンドが人気を博し、スイング・ジャズが大流行します。彼の活躍によって、それまで一部の人たちにしか聴かれていなかったジャズが、アメリカの一般大衆にまで知れ渡ったのでした。そういう意味では、グッドマンの功績は多大といっていいでしょう。しかしジャズのビッグ・バンドを音楽的観点から眺めると、もっとも重要なのはともに黒人ピアニストである、デューク・エリントンとカウント・ベイシーが率いる2大ビッグ・バンドなのでした。

デューク・エリントン・オーケストラ(以下、「オーケストラ」は「楽団」とも表記)の魅力は、そのマジカル・サウンドともいえる濃密なコクにあるといえるでしょう。それぞれ個性的なバンド・メンバーに合わせて譜面を書いたエリントン楽団のサウンドは、ベーシスト、チャールズ・ミンガスのグループをはじめ、ジャズならではの色濃いバンド・サウンドにたいへん大きな影響を与えているのです。

では、今回の主人公、カウント・ベイシー楽団の魅力・特徴は何かというと、スインギーなリズムによるダイナミックな躍動感に集約されます。一般の音楽ファンがジャズの特徴として挙げるのは、スインギーなリズム感と即興演奏ですから、ベイシー楽団はジャズのもっとも重要な要素のひとつを代表しているのです。

ヴォーカリストのゆりかご

今までお話ししてきたのは器楽演奏としてのビッグ・バンド・ジャズの歴史でしたが、それは同時にジャ ズ・ヴォーカルの歴史ともリンクしています。というのも、当時のビッグ・バンドには必ず「専属歌手」がついていて、ダンスの合間に歌を聴かせていたからです。それも「添え物」的な歌い手ではなく、ポピュラー・シンガーとしても大成功した超大物歌手であるフランク・シナトラはじめ、エラ・フィッツジェラルドやアニタ・オデイ、ジューン・クリスティといった、本シリーズにも登場したビッグ・タレントたちが、揃いも揃ってバンド・シンガー上がりなのでした。

極め付きはエラで、彼女はチック・ウェッブ楽団の専属歌手としてデビューしましたが、チックが突然亡くなってしまい、まだ若い彼女がチックに代わってバンド・リーダーを引き継いだりしているのです。

このように、ビッグ・バンド・ジャズはジャズ・ヴォーカルにとってゆりかごのような存在でもあったのです。とりわけカウント・ベイシー楽団は、のちのブラック・ミュージック・シーンに大きな影響を、ヴォーカリスト込みで与えていたのでした。その一端は前号「ソウル・ジャズ・ヴォーカル」で紹介しましたが、今一度おさらいしてみましょう。

闇酒場のジャズ文化

ウィリアム・“カウント”・ベイシーは1904年(明治37年)にアメリカ東部、ニューヨークに隣接したニュージャージー州に生まれました。子供のころはドラマーを目指しましたが、のちにデューク・エリントン楽団の名ドラマーとなるソニー・グリアの腕前に驚嘆し、ドラムスを断念、ピアノに転向します。正式にピアノ教師につくだけでなく、ニューヨークのハーレムに出かけ、スイング・ピアノの名手、ファッツ・ウォーラーの手ほどきも受けています。20歳ともなるとブルース歌手の伴奏など、プロとして活動を始めます。そして運命の地、アメリカ中西部カンザス・シティを訪れ、この地で多くのジャズ・ミュージシャンと知り合うことになるのです。

若干話が脇道に逸れますが、ジャズ史的に重要な都市であるカンザス・シティについて少し説明しておきましょう。ちょっとややこしいのですが、カンザス・シティはミシシッピ川上流の支流、ミズーリ川を挟んで東西に隣り合った、ミズーリ州とカンザス州のふたつの州にまたがった都市なのですね。地名からカンザス州側が中心地のように思われますが、賑わっているのは川の東側、ミズーリ州カンザス・シティです。

なぜカンザス・シティがジャズ史的に重要かというと、禁酒法時代(1920~33)にトム・ペンダーガストというボス議員が街を仕切っており、彼の力で「闇酒場」が大っぴらに開かれていたのでした。そして酒場にミュージシャンは必需品、多くのジャズ・ミュージシャンがカンザス・シティを目指したのです。この構図は有名なギャング、アル・カポネが暗躍したシカゴでジャズが栄えたのと同じなのですね。あのジャズ史を改革した天才アルト・サックス奏者、チャーリー・パーカーはこのカンザス・シティで生まれ、ベイシー・バンドの花形テナー・サックス奏者、レスター・ヤングをアイドルとしていたのです。

こうした理由から、地方都市ながら独自のジャズ文化が花開いたカンザス・シティで、ベイシーはのちにベイシー楽団のキー・パーソンとなるベーシスト、ウォルター・ペイジと出会い、彼が率いるバンド「ブルー・デヴィルズ」に加わります。このバンドには、今回収録したバンド・シンガー、ジミー・ラッシングがいました。29年に「ブルー・デヴィルズ」は、ピアニストで作曲家でもあるベニー・モーテンのバンドに吸収され、ベイシーも自動的に当時カンザス・シティでトップ・クラスのビッグ・バンド、モーテン楽団のセカンド・ピアニストとして採用されました。

しかし35年、モーテンが扁桃腺手術の失敗で亡くなってしまい、モー テン楽団は分裂してしまいます。そのときベイシーは分裂したバンド・メンバーをかき集め、12人編成のバンドを結成します。これがカウント・ベイシー楽団の始まりなのです。

ところで、彼の本名はウィリアム・ベイシーなのですが、「カウント」はいったいなんなのでしょう。アメリカのジャズ界には面白い風習があって、優れたジャズマンには王侯貴族などの名称を愛称として付けちゃうのですね。その始まりはルイ・アームストロングの師匠であったコルネット奏者、“キング”(王様)・オリヴァーで、ご存じエリントンは“デューク”(公爵)といった具合です。そしてベイシー楽団の演奏がラジオで放送された際、アナウンサーが付けた敬称が、“カウント”(伯爵)だったのですね。古いジャズマンから順番に王様、公爵、伯爵と偉い順にランクが付いているのがなんとも面白い。

そして、ベイシー楽団の人気奏者にしてパーカーが憧れたレスター・ヤングには、“プレズ”(プレジデント=大統領の略)という愛称が付けられていたりするのです。王侯貴族の偉い人ランキングはもう埋まってしまったので、アメリカで一番偉い「平民」をもってきたのでしょうか。冗談にしては妙に理詰めなところが面白いですよね。

カンザスのブルース感覚

そして、このベイシー楽団がシカゴやニューヨークではなく、カンザス・シティで誕生したことは大きな意味をもっているのです。面白いことに、この街の聴衆は独自の好みをもっていて、ニューヨークから訪れた超一流バンド、デューク・エリントン楽団やフレッチャー・ヘンダーソン楽団でさえ、相手にされなかったのです!

その理由はこの地域の音楽的バック・グラウンドにあるのです。ミズーリ州はジャズにも大きな影響を与えた「ラグタイム」が非常に盛んで、また「ブルース地帯」と呼ばれるほどこの地方にはブルースが根付いていました。こうしたことがカンザス・シティのジャズが独自のスタイルで発展した理由でした。

カンザス流ビッグ・バンドは譜面を使ったアレンジをせず、「ヘッド・アレンジ」といって口頭で編曲を伝えていたのです。これは「カンザス・リフ」と呼ばれています。「リフ」とはリフレイン、つまり「くり返し」のことで、要するにシンプルなくり返しを基調としたアレンジということですね。ベイシー楽団もベニー・モーテン譲りのカンザス流バンド・サウンドを受け継いでいたのです。それはシンプルでリズミックなじつにスインギーなバンド・サウンドとして表れています。

黒人音楽全般をリード

ところで、先ほどベイシー楽団の演奏がラジオ中継されたと言いましたが、これをニューヨークで聴いて驚嘆した人物がいたのです。富豪の家系に生まれたジョン・ハモンドは、音楽プロデューサーとしてベニー・グッドマンやビリー・ホリデイを世に送り出した経歴の持ち主でした。彼はラジオから流れるベイシー楽団の演奏に感動し、彼らをジャズの中心地、ニューヨークに呼び寄せたのです。

このことはベイシー楽団にとって飛躍のチャンスであると同時に、ジャズ・シーン全体にとってもたいへん大きな意味をもっていました。というのも、彼らのダイナミックで生き生きとしたバンド・サウンドが、一気にニューヨークのジャズ・シーンを活気づけたのです。ニューオルリンズ出身のルイ・アームストロングがフレッチャー・ヘンダーソン楽団のサウンドをジャジーに染め上げたように、カンザス流ベイシー・サウンドは、今一度ジャズに黒くブルージーなエネルギーを付与したのです! そしてこの動きはジャズに留まらず、「ブルース地帯」に生まれたシャウト(叫び)唱法はニューヨークのハーレム地域に根を下ろし、リズム・アンド・ブルース(R&B)という新たな黒人ポピュラー音楽の誕生に繫がったのでした。そしてこのR&Bが時を経てソウル・ミュージックとなり、また、ロックンロール、そしてロック・ミュージックの母体となったことは前号でもご紹介したとおりです。

このようにベイシー楽団は歌手との結びつきが深く、そのことも含めブラック・ミュージック全般に大きな影響を与えたバンドなのです。そればかりではありません。バンド・メンバーのレスター・ヤングを介し、モダン・ジャズの本流であるチャーリー・パーカーにも絶大な影響を与えたのでした。

文/後藤雅洋(ごとう・まさひろ)
日本におけるジャズ評論の第一人者。1947年東京生まれ。慶應義塾大学在学中に東京・四谷にジャズ喫茶『い~ぐる』を開店。店主としてジャズの楽しみ方を広める一方、ジャズ評論家として講演や執筆と幅広く活躍。ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。著者に『一生モノのジャズ名盤500』、『厳選500ジャズ喫茶の名盤』(ともに小学館)『ジャズ完全入門』(宝島社)ほか多数。

※隔週刊CDつきマガジン『JAZZ VOCAL COLLECTION』(ジャズ・ヴォーカル・コレクション)の第49号「カウント・ベイシー・オーケストラ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)が発売中です(価格:本体1,200円+税)

この記事は、第49号「カウント・ベイシー・オーケストラ」(監修:後藤雅洋、サライ責任編集、小学館刊)からの転載です。

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