はじめに-お万の方とはどんな人物だったのか?
お万の方は、家康の側室であり、彼の次男・結城秀康の生母です。家康の正室・築山殿の侍女として仕えていたということもあり、家康の目に留まったと考えられます。その後、家康との間に二人の男児を授かりますが、歓迎された出産とは言い難いものでした。
不遇な生活を強いられながらも、強く生き抜いた女性というイメージのあるお万の方。では、実際のお万の方はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、紐解いていきましょう。
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、信玄との激戦で疲れた家康の心の隙間に入り込む、神秘的で妖艶な女性(演:松井玲奈)として描かれます。
目次
はじめに―お万の方とはどんな人物だったのか?
お万の方が生きた時代
お万の方の足跡と主な出来事
まとめ
お万の方が生きた時代
お万の方は、天文17年(1548)、三河にあった神社の神主の子として生まれます。お万の方が生まれた頃の三河は、今川氏や松平氏、そして織田氏が互いの勢力拡大をかけて競い合う、群雄割拠の時代にありました。
幼少期のお万の方に関する史料はほとんど残されていません。しかし、築山殿の侍女となったり、家康との子を出産したりしていることから、戦国の動乱期に巻き込まれながらも、懸命に生きていた人物と言えるのではないでしょうか?
お万の方の足跡と主な出来事
お万の方は、天文17年(1548)に生まれ、元和5年(1619)に没しました。その生涯を出来事とともに紐解いていきましょう。
「池鯉鮒神社」の神主の子として生まれる
お万の方は、天文17年(1548)、永見志摩守吉英(淡路守貞英)の子として生まれます(別の説では、村田意竹<田村意斎>とも言われる)。
家康との間に男児を授かるも、冷遇される
お万の方に関する史料は非常に乏しいため、どのような経緯で家康と出会ったかということに関して、はっきりとはわかっていません。家康の側室・築山殿の侍女として仕えていたと伝えられているため、おそらくその時に彼と出会ったのだと考えられます。
その後、浜松城に移り住んだお万の方は、家康との間に双子の男児を授かることとなります。しかし、家康はこのことを歓迎しませんでした。その理由としては、築山殿の嫉妬を警戒したからとか、生まれた子が双子(当時、双子は歓迎されなかった)だったからなどということが挙げられます。
お万の方の懐妊がわかった時、築山殿は激怒し、お万の方を折檻したとも言われています。そのため、お万の方は、浜松城から離れた家臣の家で出産に臨んだとか。いずれにしましても、自分に仕えているはずの侍女が、自身の夫の子を妊娠したという状況は、簡単に許せるものではなかったのでしょう。
【息子・結城秀康とともに暮らす。次ページに続きます】