ライターI(以下I):今週はお市の方(演・北川景子)が、夫・浅井長政(演・大貫勇輔)の裏切りを信長に知らせる「小豆袋」のエピソードを軸に展開されました。
編集者A(以下A):1980年の『おんな太閤記』では夏目雅子演じるお市が藤岡弘(当時)演じる織田信長に小豆袋を届ける場面が描かれました。ほかにも多くの小説・ドラマでも採用されているエピソードですから、史実だと認識している方も多いでしょう。そのため「金ヶ崎の退き口」を描く際には、「水戸黄門」の印籠のように挿入されないと物足りないという印象を持たれがちなエピソードです。
I:そういうのありますね。桶狭間の戦いのときの信長が舞った「敦盛」だったり、本能寺の変の際に信長が発したという「是非に及ばず」とか、その場面がないとなんか消化不良を感じるお約束のシーン。ということで、「小豆袋のエピソード」の出典についてざっくり調べてみました。人物叢書『浅井三代』(吉川弘文館)には、このエピソードは『朝倉家記』に記されたもの、という「史実ではありませんよ」的な簡単な記述しかありません。出典が『信長公記』だったり『太閤記』ではないのですね。
A:小豆袋のエピソードを収録する『朝倉義景記』が国立公文書館のデジタルアーカイブで閲覧可能です。ちょっと深掘りしてみたいという方は閲覧してみてほしいです。当該の部分は〈袋ヘ小豆ヲ入、其袋ノ跡先ヲ縄ニテ結切リ、封を付テ信長ヘソ贈ラレケル〉と、「あ、表現としてはそれだけなんだ」という感じです。前後の記述や読み下し文は、黒田基樹さんの『お市の方の生涯』(朝日新書)に抜粋・解説されていますので参照されたらよりいいと思います。いずれにしても、お市の方がなんらかの形で兄・信長に危急を知らせようとしたことまでは否定できませんが、「小豆袋」は、江戸期に創作されたエピソードというのが現在の解釈のようです。
I:お市の方が兄の信長に危急を知らせようとしたというのが定番なんですが、本作では、お市の方はわざわざ家康に知らせようとするんですよね。小豆袋に入れるところまでは定型通りですが、それがバレてしまって、引き裂かれた袋からあずきが飛び散りました。そこで侍女の阿月(演・伊東蒼)が文字通り転がるように走っていくという設定でした。
A:有名なんだけれども、どうも史実ではなさそうだというエピソードの扱いとしては絶妙なものになりましたね。侍女阿月が小谷から敦賀まで、ざっくり40キロ=ほぼフルマラソンの距離を走破して危急を伝えたという設定は面白かったです。 実際にはこちらの方がリアルな気もしますし。このエピソードのために阿月の幼いころのエピソードやお市の方の侍女になるまでの経緯が尺をとって描かれたことには賛否があるでしょうが、「面白ければよし」ではないでしょうか。
I:なかなかのアレンジでした。甘い干し柿欲しさにクロスカントリーのような競争に参加するなどのエピソードが挿入されました。前週はコンフェイトをお市の方にもらってご満悦でしたから、阿月は、甘いものが好きな設定なんでしょう。
A:蛇足ですが、前述の『朝倉義景記』の小豆エピソードの続きには、松永久秀が信長に対して、京ヘ退却することを進言したという場面も登場しています。家康もしっかり登場していてなかなか面白いですよ。
信長への「あほ、たわけ!」。昭和だったら喝采か?
I:さて、今週のもうひとつのトピックスは、家康(演・松本潤)が信長(演・岡田准一)に対して「あほ、たわけ!」と食ってかかった場面ではないでしょうか。
A:昭和の時代、あるいは平成の時代では、嫌な上司、圧をかけてくる上司を怒鳴りつける場面に「溜飲を下げる」ということになったかもしれません。令和の時代はどうでしょう。「逆パワハラ」だとかいわれるのでしょうか(笑)。
I:昭和が終わって34年。昭和は遠くなりにけりですね……。信長にはあまり響いていないようでしたけど。
A:歌人の中村草田男が「降る雪や 明治は遠くなりにけり」と詠んだのは昭和6年(1931)です。明治の終わりが1912年ですから20年ほどで明治は遠くなっていたわけです。それに比べたら、昭和が終わって30年以上たっているわけですから、それはもう昭和は遠いですよ。
I:昭和どころか、もう「平成レトロ」が話題になるご時世ですからね。
【クズ人間にされてしまった秀吉。次ページに続きます】