取材・文/ふじのあやこ

写真はイメージです

離婚、再婚などで複雑化する家族関係。血縁のない家族(義家族)との関係で生じる問題、そして新たに生まれたものを、当人にインタビューして、当時感じた素直な気持ちを掘り下げます。【~その1~はコチラ

今回お話を伺った篤子さん(仮名・37歳)は30歳のときに結婚。夫は18歳で上京してからずっと追いかけていた俳優の道を諦め、正社員になると同時に篤子さんにプロポーズ。結婚を後悔させないためにも、篤子さんは「この人を幸せにしなければ」と誓ったという。

「夫には夢を諦めての結婚だったけど、年を重ねて振り返ったときに、この道で良かったって思ってほしくて。プロポーズを受けて最初にしたのは母親への電話でした。家族の交流はやっぱりあったほうが幸せだろうから。母に電話したら父親に代わり、父は『2人の顔を見せに帰って来い』と言ってくれました。私の実家は兵庫県で相手の実家は奈良県だったので、どうせなら夫の家にも挨拶に行きたいと電話をするように仕向けたんです。それがお互いの両親との和解のきっかけでした」

和解後に義両親と夫の中で取り決めがあった!?

新幹線で京都まで2人で行き、そこからは別々に実家に戻ることに。和解が完了後にお互いの家に挨拶に行き、翌日にはお互いの家族揃っての食事会も行われた。

「私の家は今の家のこと仕事のことを根掘り葉掘り聞かれただけで『ちゃんと生活しているならいい』と。久しぶりに会った父は思った以上に老けていて、私の帰省をただ純粋に喜んでくれていました。

夫のほうも最初は険悪だったらしいのですが、その後は無事にまとまり、お互いの両親が電話で挨拶する中で翌日会いましょうという話になってしまって(苦笑)。レストランの個室で食事会が行われて、そこで結婚の話も無事まとまりました。式は親がお金を出してくれて海外で挙げました。義両親については、第一印象も、式でもいい人だな~という印象しかありませんでした」

結婚から2年後、夫は急に地元に戻ると言い出した。「いずれ帰ろうと思っていた」と、そして当然のように「ついて来るよね」と言われたという。

「私は東京でずっと仕事をしていました。それなのに2年もの間一度の相談もなしに勝手に決めていたのです。詳しく話を聞くとすぐにと言われたわけじゃないことがわかり、私はもう少し東京にいたいとお願いしました。そしたら、『具体的にいつまで?』と詰め寄られ、つい何も考えずに1年後と言ってしまったのです。

本当にその1年後に私たちは奈良の義実家に引っ越すことになりました」

【義家族に塞がれて息苦しいだけの結婚生活 次ページに続きます】

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