編集者A(以下A):源頼朝(演・大泉洋)が落馬した『鎌倉殿の13人』第25話を視聴して胸が熱くなりました。作者(三谷幸喜氏)は「頼朝のことをリスペクトしていて」「頼朝のことが大好きで」「実はほんとうに作者が描きたかったのは頼朝の生涯じゃないのか」とさえ感じました。
ライターI(以下I):この頼朝が落馬する回のタイミングで、三谷幸喜さんの取材会が行なわれました。
A:今回は、その際の三谷さんの肉声を織り交ぜながら構成したいと思いますが、三谷さんの言葉の端々(はしばし)から「強烈な大河愛」を感じました。それをうまくお伝えできるか……。
I:まず、第25話で描かれた頼朝の去り際について触れた三谷さんの発言です。三谷さんがどんな風に頼朝の退場を描くのだろうと、当初から気になっていたのですが、なるほど、ちょっと胸熱でした。
頼朝の死因については諸説がありますが、僕自身が今回の脚本を通して頼朝に長く寄り添ってきて、彼なりの苦しみなど分かっているつもりなんですね。だからこそ、頼朝が突然のアクシデントで死んでしまうのではなく、誰かに殺されるのでもなく、静かに死なせたいと思っていました。頼朝の人生とは何だったのか。頼朝ほど寂しい男はいなかったのではないか。僕の中では第25回は静かな回。厳かに頼朝を看取る回だと思っています。
A:鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』には頼朝の発言・行動がわりとつぶさに記録されています。挙兵時に坂東武士をひとりずつ招いて「お前だけが頼りだ」と懇請したり、弟の九郎義経が京で勝手に任官した時に一緒に任官した御家人に対して「あの鼠めが」と罵倒したり、はたまた、愛妾の邸宅が妻政子によって破壊されるなど、相田みつをさん風にいうと「頼朝だって人間だもの」という記録が多い。〈厳かに頼朝を看取る回〉という三谷さんの言葉は、「あ、三谷さんはやっぱり頼朝をリスペクトしている」と感じて、ほんとうに胸に染み入りました。
I:確かに一見、コミカルに展開されているように見えますが、第25話は「人間頼朝」をじっくり描いている印象でした。
A:易の結果をことさら気にしたり、方違え(かたたがえ)で方角を気にしたりする。13歳まで過ごした京都のしきたりが染みついてしまっていることを描いたのだと思いました。加えて前週までに大姫の入内のために丹後局(演・鈴木京香)らに豪奢な進物を配し、東大寺大仏殿復興にも多額の献金を行なう。坂東武士らはそうした頼朝の姿を必ずしもよしとしなかったと思いますから、心労も重なったことでしょう。
I:頼朝とは三谷さんにとってどんな人物なのかも、聞いてみました。
源頼朝をメインの人物として描ける喜びは、脚本家冥利につきます。頼朝は、決して聖人君子ではありません。あれだけ波乱万丈な人生を歩み、いろいろな問題をかかえた歴史上の人物はなかなかいないと思うんですね。誰が書いても魅力的な人物だと思います。
A:うんうん、と頷きながら話を聞いていましたよ。
I:三谷さんの〈厳かに頼朝を看取る〉思いが特に集約されていたと思われるのが、法要が終わり、安達盛長(演・野添義弘)とふたりで鎌倉に帰っていくシーンかと思います。流人時代からの側近安達盛長に馬をひかせて森の中を往く。そこで頼朝は落馬するわけですが、このシーンについて語った三谷さんの発言を紹介します。
高校生の時に見た大河ドラマ『草燃える』(1979年)は、それぞれの登場人物に感情移入するほどにはまっていました。その中でもよく覚えているのが、頼朝落馬の回。僕だったらこうするな、という思いを抱きながら見ていました。その頃はまさか同じ話の脚本を自分が手掛けることになるとも思っていなかったのですが、頼朝落馬の瞬間にほかの人たちは何をしていたんだろうというのを考えたんですね。『草燃える』ではそこまで描かれていませんでしたが、その背景を見たいという思いがずっとありました。僕としては、頼朝の脳裏に一瞬一瞬でいろんな人の顔が浮かぶというイメージで脚本を書きましたが、演出の吉田(照幸)さんが、頼朝に関わるひとりひとりの登場人物の生活をじっくり描くという手法をとってくれて、ああ、自分が40年前に見たかったのはこれだ! と思いました。だから吉田さんには感謝しています。
A:政子や義時、三浦義村や和田義盛まで主要な登場人物に「虫の知らせ」がくるシーンはことさら印象的でした。ですから、この三谷さんの話を聞いて、すぐさま「きっとこの回を見た若者の中から、20年後、30年後に大河ドラマの脚本を書いたり、大河ドラマの演出をしたりする人材が出て来るんだろうな」と思いましたし、出て来てほしいと思いました。
I:私は、頼朝が落馬する直前、騎馬の頼朝と馬をひく安達盛長のふたりのシーンについて語った三谷さんの言葉も印象に残りました。
安達盛長は最初からの頼朝の家臣として登場しています。惜しむらくは、初期の伊豆の蛭ケ小島にいた頃、頼朝が乗る馬を盛長がひいて一緒に歩いているシーンがなかったこと。頼朝最期のシーンで盛長が頼朝の馬をひいていますが、描かれなかった伊豆時代の頼朝と馬をひく盛長の姿が視聴者のみなさんの中で脳内変換されて映し出されたらいいなと思います。
A:三谷さんのいう〈厳かな看取り〉を象徴する場面だったと思います。私は、このシーンを見て、すぐに『草燃える』で石坂浩二さんの頼朝と武田鉄矢さんの安達盛長のシーンを思い出しました。「高貴な流人」の風情で馬上にある頼朝と馬をひく盛長が、じゃれ合っていた若き義時(演・松平健)と伊東祐之(演・滝田栄)と遭遇する印象的な場面です。だから、三谷さんの話を聞いて、「三谷さんの思いはちゃんと伝わっていますよ!」 「『草燃える』のあのシーンですよね!」 と叫びたい思いになりました。
I:盛長は、流人時代からの側近ですからね。
A:その関係性があればこそ、落馬した頼朝に思わず「すけどの」って叫んでしまうわけです。泣かずにはいられないシーンでした。そして、さらに三谷さんの発言の中で特筆したいのが、頼朝役の大泉洋さんに言及したものです。三谷さんはこういっています。
頼朝役の大泉洋は、思った以上にやってくれました。こんなに人間味のある頼朝を演じられる人が他にいるだろうかと思っています。
I:大泉さん、キャスト発表の時は意外でちょっとびっくりしましたが、想像以上のハマり役でしたね。
A:この三谷さんの発言、ほんとうにほんとうにそう思いました。私は小4~小5で『草燃える』を見た世代ですが、「頼朝といえば石坂浩二さん」のイメージが強烈に残り、以降の大型時代劇や大河ドラマで登場した菅原文太さん(『武蔵坊弁慶』1986年)、長塚京三さん(『炎立つ』1994年)、中井貴一さん(『義経』2005年)、岡田将生さん(『平清盛』2012年)らが演じた頼朝には一切感情移入ができずに苦労しました。
I:「頼朝の呪縛」ですね(笑)。
A:大泉洋さんの頼朝は、「頼朝だって人間だもの」の部分をしっかりと、そして絶妙に表現していただいたと思います。おかげで43年間悩まされた「頼朝の呪縛」から解放されました。有り体にいえば、大泉さんの頼朝は石坂浩二さんの頼朝をこえましたね。
I:呪縛が解けたのは、やっぱり「大泉洋さんのせい」なんですね(笑)。きっとこれからは、『鎌倉殿の13人』を見た子供たちが「大泉頼朝の呪縛」に悩まされることになるかもしれませんね。さて、『鎌倉殿の13人』は頼朝の退場を以て「第一ステージ」の幕が下りることになります。きっと「頼朝ロス」という言葉でざわつくことになるのかと思いますが……。
A:「頼朝退場」以降が第二ステージというのならば、まさにここからが本番。さらにヒートアップした物語が展開されます。「頼朝ロス」など感じている暇はないのですよ。
●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を足掛け8年担当。初めて通しで見た大河ドラマ『草燃える』(1979年)で高じた鎌倉武士好きを「こじらせて史学科」に。以降、今日に至る。『史伝 北条義時』を担当。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2022年1月号 鎌倉特集も執筆。好きな鎌倉武士は和田義盛。猫が好き。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり