武士の世を開いた源頼朝(演・大泉洋)の最期。

ライターI(以下I):鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』は頼朝の死の前後の記述を欠いています。落馬がもとで亡くなったという記述は頼朝の死から13年後、建暦2年2月の『吾妻鏡』に「頼朝が亡くなるきっかけになった落馬は、相模川の橋の落成した日に起こったのだから、この橋は縁起の悪い橋」と書かれているだけ。そのため憶測含めてさまざまな説があがっています。

編集者A(以下A):それだけに、作者がどのような説を採用するのか気がかりだった方は多いのではないでしょうか。

I:詳細については、作者の三谷幸喜さんの取材をしたうえで構成した別枠記事(https://serai.jp/hobby/1079874)をご覧いただきたいと思います。

A:はい。それでは、こちらでは平家滅亡から頼朝の死までの流れを時の経過をわかりやすくするため西暦で概観したいと思います。まず平家滅亡が1185年。1180年の挙兵から5年かかって平家を滅亡させました。ところが、平家討伐の功労者で弟の九郎義経と仲違いしたすえに、九郎義経を誅し、さらに奥州藤原氏を攻め滅ぼしたのが1189年。

I:挙兵からわずか9年でほぼ全国を平定したというわけですね。

A:その後は、京都朝廷との暗闘が始まります。頼朝が上洛して後白河院と会談したのが1190年。1192年には後白河院が崩御して、4か月後に征夷大将軍に任ぜられます。富士の巻狩りと曽我事件は1193年で、同年、範頼は伊豆修善寺に幽閉されます。そして、頼朝が再び上洛するのが1195年。劇中では描かれませんでしたが、翌1196年には「建久7年の政変」がおきます。

I:「建久7年の政変」は、それまで頼朝の盟友だった九条兼実(演・田中直樹)が失脚した事件です。大姫(演・南沙良)の入内のことで、頭がいっぱいだった頼朝は兼実の失脚を黙認したともいわれます。これを頼朝の失政だと指摘する研究者も多い重大事件だったんですよね。

A:はい。盟友失脚を黙認してまでこだわった大姫入内問題も、翌1197年に大姫が亡くなると同時に消失します。劇中では大姫の死をきっかけに範頼を誅したことになっていますが、伊豆への幽閉直後に誅されたという説もあったりして、範頼の死についても諸説あります。

I:こうやって概観すると頼朝の生涯は、波乱万丈で心休まる時がなかったことがわかりますね。心労もたまっていたことでしょう。

関東大震災後の液状化で浮かんできた「橋脚」

I:第25回で頼朝が出かけたのは、稲毛重成(演・村上誠基)が、亡き妻の供養のために相模川に架けた橋の落成を期した法要でした。重成亡妻は時政(演・坂東彌十郎)の娘だったので、北条一門も集結していたというわけです。

A:この時、稲毛重成が架けたという橋の橋脚が〈史跡・天然記念物「旧相模川橋脚」〉としていまに伝わっています。場所は神奈川県茅ヶ崎市。鎌倉からおおよそ15キロほどの距離ですから、徒歩でも3~4時間でしょうか。大正12(1923)年の関東大震災の際の液状化で橋脚が突如水田の中から出現したというものです。当時の調査で、稲毛重成が建設した橋のものだとされました。このストーリーを初めて聞いた時、頼朝の怨念が724年の時を経て、橋脚を浮上させたに違いない! と思った記憶があります。

I:頼朝の怨念ですか。そういうの、あるんですかね?  そういえば、来年は関東大震災からちょうど100年という節目の年。頼朝の怨念が再来するかもしれませんね。

A:ちなみに藤沢市の辻堂二丁目には「源頼朝公 落馬地」という案内板があります。真偽のほどはわかりませんが、秋口にでも鎌倉~辻堂~相模川橋脚のある茅ヶ崎市を、頼朝を偲びながら歩いてみたいですね。

結果的に「悪」の全成

コミックリリーフ的存在の全成(演・新納慎也)。

A:頼朝の弟で祈祷師的な仕事を請け負っている全成(演・新納慎也)は、『平治物語』などで「悪禅師」と称された人物です。劇中では妻実衣(演・宮澤エマ)ともども喜劇パート担当のようなキャラですが、今週の彼の様子を見て「ハッ」とさせられました。

I:どういうことでしょう。

A:易的なことを気にする頼朝に請われた全成は「相性の良くない色を遠ざける」「久方ぶりの者が訪ねてきても避ける」「仏事神事は欠かさぬこと」「赤子を抱くと命を吸い取られる」などと進言していました。

I:はい。前週は、大姫のことを気遣う政子に請われて霊媒師のようなこともしていました。

A:霊媒師を介して義高さま(演・市川染五郎)と交信しようという試みは1979年の『草燃える』でも展開されていました。鬼気迫る霊媒師の演技が強烈だったことをよく覚えています。ですから、全成が霊媒師のようなことをすることには違和感ありませんでした。問題なのは、前週の大姫と義高さまの交信も、今週の頼朝への進言も、結果的に「失敗」していることです。大姫の信頼を失い、頼朝を翻弄し、頼朝の心労を増すことになってしまいました。良かれと思っての言動が、結果的に大姫や頼朝に災いを招いたということになります。

I:つまり……「結果的に悪禅師」。

A:悪気がないだけに、余計に厄介ですよね。

頼朝の落馬はどう描かれたのか?

餅を喉に詰まらせるというフェイント。

I:さて、第25回では、頼朝の落馬が描かれました。その背景については、別枠記事(https://serai.jp/hobby/1079874)でも語っていますが、頼朝と接点のある人々の暮らしを少しずつ紹介しつつ、淡々と時が流れていくような静かな物語として描かれました。直前に頼朝が餅を詰まらせた時は、「まさか!」と思いましたが、フェイントでしたね。

A:脳溢血か何かの疾患で落馬したかのような設定でしたが、今回改めて平家滅亡以降の頼朝の歴史を概観して、相当ストレスたまっていそうだから、急に倒れた本作の展開が真相に近いかもと思ってしまいました。でも暗殺説などで展開するのかもと思っていたので、美しい展開には驚きました。

I:そうした中でも、頼家嫡子の一幡が誕生し、さらに頼家(演・金子大地)に源為朝の孫という別の女性を娶せようという動きも描かれました。金剛(演・坂口健太郎)も元服し頼時(初名は頼朝の偏諱を受けた)になっていました。

A:充分尺が残っていたら烏帽子親の頼朝が加冠するシーンを入れたかったと思うのですが、それは想像で補っておきましょう(笑)。

I:ちょっと脱線しますが、私は時政に八重(演・新垣結衣)と間違えられた比奈(演・堀田真由)が〈雛遊びの雛のようにかわいい比奈でございます〉と絶妙な切り返しをみせたところがツボでした。

A:ほう。

I:私はああいう気のきいた返しができないんだよなあ、と思いながら見てました(笑)。ほんとうに比奈って可憐ですよね。

絶妙なキャスティングとなった大泉頼朝。

●編集者A:月刊『サライ』元編集者(現・書籍編集)。歴史作家・安部龍太郎氏の『半島をゆく』を足掛け8年担当。初めて通しで見た大河ドラマ『草燃える』(1979年)で高じた鎌倉武士好きを「こじらせて史学科」に。以降、今日に至る。『史伝 北条義時』を担当。
●ライターI:ライター。月刊『サライ』等で執筆。『サライ』2022年1月号 鎌倉特集も執筆。好きな鎌倉武士は和田義盛。猫が好き。

構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり

 

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