最近、テレビやラジオを視聴しておりますと、聞き慣れない難解な外来語や英単語の頭文字を連ねた短縮語が、以前に増して多くなっているように思います。現役時代ですと、新しい言葉を聞けば、時代の流れに取り残されまいと、敏感に反応しすぐに調べ知識を得るよう心掛けたものです。

しかし、徐々に「メモを取って」そして「すぐに調べる」という行動が、どうも出来なくなっているように感じています。「何故なんだろう?」と、それなりに真剣に考えたところ、「人と会って話すこと、人前で話す機会が減っていることが、大きな原因ではないだろうか?」との結論に至りました。

最近は、めっきり外出する機会も減り、日常生活においては大方同じ人としか会話をしなくなってきております。長年連れ添った伴侶との会話であれば「あれ」「それ」「これ」「そう」「うん」くらいで、用が足りてしまう日もあります。つまり、新しい言葉を覚え、使う必要性を感じなくなっているということなんでしょうか? しかし、そうしたことでは“脳の刺激”も減って、ボケるのを早めてしまうことにもなりかねないので、意識して改めたいと思っております。

今回の「懐かしき風景」は、昭和初期の頃から軍港で栄えた港町に残る、昭和な佇まいの商店街の風景をご紹介いたします。

戦艦大和の生まれ故郷を訪ね、幼少期を思い出す

サライ世代は、太平洋戦争と何がしかの繋がりの中で育ってきたように思います。それは、可愛がってくれた祖父母は戦争経験者であったし、両親は戦時下の学校教育を受けた人間でした。幼少期に触れ合う大人たちから、しばしば、戦争体験や戦時下の話を聞かされていた記憶があります。その話の中に、零式戦闘機や戦艦大和や武蔵、長門などといった名称も登場していたように思います。

灰ヶ峰から見下ろした呉市
灰ヶ峰から見下ろした呉市

戦争の悲惨さを知らない子供にとっては、大人たちの戦争秘話は“暗く悲惨”という印象より、どこかで「勇ましさ」や「格好良さ」みたいなものを感じ、戦艦大和へは憧れさえ抱いていました。その戦艦大和が建造されたのが、広島県呉市の呉海軍工廠。その跡地は、現在、造船会社「ジャパン マリンユナイテッド」の工場となっており、近くの「歴史の見える丘」から、当時の規模の大きさを偲ぶことができます。

戦艦大和の生まれ故郷・呉海軍工廠後
戦艦大和の生まれ故郷・呉海軍工廠
「歴史の見える丘」に在る“噫(ああ)戦艦大和塔“
「歴史の見える丘」に在る“噫(ああ)戦艦大和塔”

しかし、実際に幼少期に憧れた戦艦大和が生まれた地を訪れ、「歴史の見える丘」に立ち“噫(ああ)戦艦大和塔”を見上げた時には、戦艦大和と共に海に沈んだ3000人以上の船員を想い、暗い気持ちになりました。

今では、海軍工廠本部があった場所は、整備され公園になっております。そして、かつて威風堂々とした戦艦大和が停泊したであろう呉湾には、海上自衛隊の大小の艦艇があります。海上自衛隊呉基地の桟橋は、日本で唯一、潜水艦を間近で見られる場所として知られ、映画『アルキメデスの大戦』のロケ地にもなったことから、艦船マニア垂涎の地になっています。

海上自衛隊呉基地の桟橋に停泊する艦船
海上自衛隊呉基地の桟橋に停泊する艦船

令和の時代に、昭和な一夜が過ごせる「呉劇場通り」界隈

呉の街というと、今や人気の観光施設「大和ミュージアム」があったりと、割に賑やかな街をイメージする読者もおられることでしょう。呉市の資料によると、市の人口は昭和50(1975)年頃は30万人を超えていたそうですが、その後は、減少傾向が続いているそうです。

確かに、市街地を歩いても、お年寄りの姿の方が多いのですが、これは、何も呉に限ったことではありません……。こんな事を書いたりするとお叱りを受けるかもしれませんが、昭和生まれの人間からいたしますと、昭和な感じのする呉の商店街の方が落ち着きますし、安全で安心な感じがいたします。

昭和な佇まいの飲食店が並ぶ劇場通り商店街界隈
昭和な佇まいの飲食店が並ぶ劇場通り商店街界隈

呉の中心街には、昭和の時代を彷彿とさせる商店街が広範囲に残っています。まず、国道185号線を走り、呉の町へ入ると両側にアーケードの架かったフラワー通り商店街が目に入ってきます。地元では、市内を貫くように走る国道185号線を本通りと呼んでいるとか。この本通りと市内を南北に流れる堺川に挟まれた地帯に、商店、飲食店が密集しています。その中で、最も賑やかなのが中通り、別名“れんがどおり”と名付けられている商店街です。本通りと中通り、そして堺川沿いの蔵本通りを結ぶように、幾つもの細い通りが在り、それぞれに名前が付けられ、特徴のある表情や雰囲気を醸しております。

中通り別名"れんがどおり"の商店街風景
中通り別名”れんがどおり”の商店街風景

その中に、懐かしさを感じさせてくれる「呉劇場通り商店街」と呼ばれる通りがあります。かつて、この通り沿いに映画館が複数館あったことから、この名が付けられたそうです。今では、映画館も閉鎖されたこともあってか「パルス通り」と改名されています。ちなみに、パルス通りの由来はPremium Resort Avenue(価値ある行楽の通り)の願いを込めての命名だそうです。

呉劇場通り商店街の風景
呉劇場通り商店街(パルス通り)の風景

「呉劇場通り」界隈には、昭和の風情が色濃く残り、昭和世代の方なら、きっと心をくすぐられる様な気分を味わえるでしょう。特に、日が傾き夜の帳が下りる頃になると、古びた味のあるネオンサインや看板に灯が灯り、昭和生まれの飲み心を路地へと誘い込みます。近くの堺川沿いの蔵本通りには、呉名物の屋台も並びます。

その光景を見れば、若い頃のように梯子酒をしてみたくなるのではないでしょうか。何にしましても、ここ呉の街は、令和の時代に“昭和な一夜”を提供してくれることだけは、間違いないと思います。

細い路地の古びた味のあるネオンサインや看板
細い路地の古びた味のあるネオンサインや看板

「呉劇場通り商店街」アクセス情報

所在地 :広島県呉市本通4丁目1-18
鉄 道 :JR西日本 呉線呉駅から徒歩約15分
自動車 :東広島呉自動車道 阿賀ICより約15分

取材・動画・撮影/貝阿彌俊彦(京都メディアライン)
ナレーション/敬太郎
京都メディアライン:https://kyotomedialine.com
Facebook:https://www.facebook.com/kyotomedialine/

 

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