後年に語り継がれる「よん・さん・とお」とはどのような改正だったのか、鉄道研究家の寺本光照さんに聞いた。
「在来線の特急の充実が図られ、東京~青森間の東北本線が全線電化、複線化を果たしたことが大きな話題となりました。同区間の所要時間は8時間30分となり、約2時間も短縮されたのです。東北以外でも、新大阪~博多間の『月光』が増発されるなど、寝台特急が拡充。スピードアップと増発により、特急列車の大衆化が決定づけられたのが『よん・さん・とお』だったといえます」
月光
新大阪〜博多 1967年(昭和42)〜1975年(昭和50)
はやぶさ
東京〜熊本・西鹿児島 1958年(昭和33)〜2009年(平成21)
エル特急で利便性が向上
さらに、特急の利用を促進したのが、1972年(昭和47)10月に登場した「エル特急」の存在だ。特急列車の始発駅の発車時間を毎時「00分」「30分」などと分かりやすくし、停車駅も極力、統一した。また、必ず自由席車を連結して予約なしでも乗れるようにするなど、利用者に利便を図るものだった。
あずさ
新宿〜 松本ほか 1966年(昭和41)〜
命名に際しては「LOVELY(ラブリー)」(愛らしい)、「LITTLE(リトル)」(かわいい) という意味を持たせ、「LI MITED EXPRESS(リミテッド エクスプレス)」(特急)にもつながることから頭文字の「L」が使われたという(※参考文献/『エル特集大図鑑』(天夢人))。
男性2人組の「狩人」が1977年(昭和52)にヒットさせた『あずさ2号』の歌詞に“8時ちょうど”とあるが、新宿駅の発車時間が8時00 分であったことは「あずさ」がエル特急だった証である。ところがヒットの翌年のダイヤ改正で、号数は下りが奇数、上りが偶数となったため、8時ちょうどの新宿発車は「あずさ3号」になってしまった。そんなこともニュースになった時代であった。
昭和50年代からはイラストを配したトレインマークが主流になる。1987年(昭和62)のJR移行後もエル特急は引き継がれ、2018年(平成30)まで走った。
1970年代後半からブルートレインの一大ブームが湧き上がる。特に「富士」「はやぶさ」「あさかぜ」「さくら」といった、東京と九州を結ぶ歴史のある列車が人気で、出発時はホームにカメラを持った少年たちが群がった。
変化を迎えたトレインマーク
JR移行後も「北斗星」(上野~札幌)、「トワイライトエクスプレス」(大阪~札幌)など、豪華な設備を誇る寝台特急が誕生し人気を博したが、現在、定期運行をする寝台特急は「サンライズ瀬戸・出雲」のみとなった。従来の円形のマークを掲げた客車形の寝台特急は「カシオペア」を最後に、2016年(平成28)に姿を消す。
その間、トレインマークも大きく変わった。ヘッドマークの交換は、省力化の時代にはそぐわない。「スーパーひたち」はLED表示となり、「サンライズ瀬戸・出雲」のように、愛称が車体そのものに記されることもある。
スーパーひたち
上野ほか〜平ほか 1989年(平成元)〜
サンライズ瀬戸・出雲
東京〜高松・出雲市 1998年(平成10)〜
鉄道とトレインマークの歴史に詳しい佐藤美知男さんは、こう語る。
「戦後、日本の鉄道が復興して隆盛を遂げる昭和40年代までがトレインマークの全盛時代です。さまざまな列車が誇らしげにトレインマークを掲げ、全国を駆け抜けていました」
取材・文/宇野正樹 取材協力/寺本光照(鉄道研究家) 資料提供/三宅俊彦(鉄道史研究家) 参考文献/『エル特集大図鑑』(天夢人)
撮影/植野製作所 図版/日本海ファクトリー
※この記事は『サライ』本誌2022年2月号より転載しました。