取材・文/坂口鈴香
近畿地方の山間部。毎朝夕、犬を連れた夫婦が手をつないで散歩する姿が見られる。何も知らないと、仲睦まじい夫婦だなとしか思わないだろう――。もちろん仲は良いのだが、少し違う点がある。妻の北村美佐子さん(仮名・63)は若年性認知症なのだ。診断を受けて3年になる。穏やかに散歩ができるようになるまでには、夫、昇さん(仮名・64)の苦悩の日々があった。
夫婦の夢の楽園
北村さん夫婦は共働き。子どもたちも皆家庭を持ち、8人の孫にも恵まれた。同居する北村さんの母・末子さん(仮名・88)も元気で、絵に描いたような幸せな家庭だった。先祖から受け継いだ田畑や山林は北村さんの両親が守ってきたが、父親が亡くなり、末子さんも高齢になったため、北村さん夫婦が会社勤めのかたわら農作業することが増えていた。
「農作業をやってみると、しんどいですが結構楽しかった。次第に定年後の夢が膨らんでいきました」
北村さんが50歳になるころ、ブルーベリーの苗木を植えた。いずれ定年退職するころには、この木も成長し収穫できるようになっているだろう。その日を夢見て、美佐子さんと二人、仕事の合間に育てていった。
「孫たちも畑に遊びに来たりして、畑仕事が楽しみになっていました。数年で、ブルーベリーを直売所にも出荷できるようになり、次はブドウづくりもしてみたいと、気持ちは完全に定年後の夫婦の楽園づくりに向いてたんです」
認知症のテストで激怒
しかし、そのころにはすでに美佐子さんの異変は始まっていた。娘の家に車で行った帰り道、何度も道を間違えるようになっていた。北村さんは「夜だからだろう」と気にも留めていなかったという。
ところが、娘のマンションの棟を間違えて、知らない人の家に入りかけたり、買い物に行くと必ず1万円札を出して釣銭をもらったりするのを目の当たりにすると、さすがの北村さんも「おかしいな」と思うようになった。
「これは、お金の計算ができていないのではないか……。それで、妻の行動を観察するようになったんです」
すると、料理を毎回1、2人分多くつくっているのに気づいた。美佐子さんにその理由を聞くと「自分の父親が酒好きで、友達を呼ぶことが多かったので、母親はいつも多めに料理をつくっていたから自分もそうしている」と言う。
「私はそれほど酒を飲まないし、食事時に人が来ることもありません。これは言い訳だろうと思いました」
離れて暮らす子どもたちは、もっと早くから美佐子さんの言動をおかしいと感じていたようだ。ただ、認知症だとは思わず、鬱を疑っていたらしい。ついに子どもたちから、美佐子さんを物忘れ外来に連れて行ってはどうかと促されたものの、北村さんにはまだ受け入れがたい気持ちがあった。
「認知症かもしれない。でもそうでないと信じたい。それでも、少しでも早いうちに治療しないと病気が進んでしまう、と逡巡していました」
美佐子さんにそれとなく受診を勧めてみたが、「そんな病気ではないから、絶対に病院には行かない」と拒否する。とうとう、このままでは病気の進行を抑える手立てはないと、重い腰を上げた。「自分も診てもらうから」と美佐子さんをなかば強引に病院に連れて行ったのだ。
だが、美佐子さんには逆効果となった。「なんであんなに人を馬鹿にしたようなテストを受けないといけないの」と北村さんに怒りをぶつけた。
「結局このときは認知症とは確定されず、通院も2回で終わってしまいました」
そうこうしているうちに、美佐子さんの定年が近づいてきた。美佐子さんの上司から話があるので会ってほしいと言われ、北村さんは面談に出向くことになった。
若年性認知症になった妻【2】につづく。
取材・文/坂口鈴香
終の棲家や高齢の親と家族の関係などに関する記事を中心に執筆する“終活ライター”。訪問した施設は100か所以上。20年ほど前に親を呼び寄せ、母を見送った経験から、人生の終末期や家族の思いなどについて探求している。