「迷い込んだ一匹の猫がきっかけでした」

明治39年、東京・千駄木の自宅書斎で。漱石は英国から500冊余りの本を木箱につめて持ち帰ったが、その中には、ヨーロッパ伝統の手製本(ルリユール)の技術により、一冊一冊美しく革装幀され金箔押しを施されたシェークスピア全集なども含まれていた。 写真提供/県立神奈川近代文学館

●解説 中島国彦さん(早稲田大学名誉教授・75歳)

昭和21年、東京生まれ。日本近代文学館理事長。著書『漱石の地図帳』、『漱石の愛した絵はがき』(長島裕子と共著)など。『定本漱石全集』で『彼岸過迄』『書簡』の注解を担当。 写真/川井 聡

「何か書いてみたらどうです?」 夏目漱石が、俳句文芸雑誌『ホトトギス』編集人の高浜虚子からそんな言葉をかけられたのは、明治37年11月のことだった。その頃の漱石、洋行帰りの英文学者として東京帝国大学と第一高等学校の教壇に立ちながら、どこか鬱々とした日々を送っていた。虚子の勧めに感興がわき、漱石は筆を執った。

《吾輩は猫である。名前はまだ無い……》

こうして、今に読み継がれる名作『吾輩は猫である』が生み出されていく。早稲田大学名誉教授で漱石研究の第一人者・中島国彦さんは解説する。

「そもそもは、明治37年の夏の初めに夏目家に迷い込んだ一匹の猫がきっかけでした。虚子の誘いを受けた漱石は、猫を語り手として猫の視線から人間界を諷刺的にとらえることを発想し、画期的な物語を紡ぎ出したのです」

『ホトトギス』同人たちの間で催されていた“山会”と呼ばれる文章会での発表を経て、この作品は『ホトトギス』の明治38年1月号に掲載された。最初は“1回きりのつもり”が、たちまち評判となって2回、3回と連載は続き、ついには上中下3冊の単行本が刊行されるに至った。

『ホトトギス』明治38年1月号に掲載された『吾輩は猫である』の冒頭。当初は連載の構想はなく、回数の表示はない。 写真提供/日本近代文学館

「御蔭で猫も面目を施こし候」

単行本の装幀デザインを手がけたのは、橋口五葉。漱石の抜擢だった。中島さんは言う。

「橋口五葉は漱石の熊本五高時代の教え子・橋口貢の弟で、漱石の紹介で『ホトトギス』の明治37年10月号に初めて挿絵を描いています。漱石より15歳年少で、当時はまだ東京美術学校の学生でした。『ホトトギス』に掲載の『吾輩は猫である』の第1回に挿絵はなく、第2回に五葉の挿絵がついて好評を得た。漱石は五葉あての手紙で《ホトヽギスの挿画はうまいものに候 御蔭で猫も面目を施こし候》と謝辞を送っています」

若い頃から美術的な趣味が深く留学中に多くのヨーロッパの美装本にふれてきた漱石の胸の中には、せっかく単行本を出すなら本のつくりや装幀デザインも優れたものにしたいという思いがあった。

上編の初版刊行は連載継続中の明治38年10月。当初「上編」の記述はない。定価は95銭(中編・下編は各90銭)。 写真提供/県立神奈川近代文学館(寄託)

中編は翌年11月刊。「題字に片仮名を用いたのは洋風の洗練されたデザインを意識したからでは」(中島さん) 写真提供/県立神奈川近代文学館

下編は明治40年5月の刊行。8月には早くも4版に達したことが、漱石の版元あての領収証から読み取れる。 写真提供/県立神奈川近代文学館(寄託)

「若い五葉の独創性に期待しながら、漱石は自分の手元にある美術の画集や、ロンドン時代から購読を始めて帰国後も丸善を通して購入していた美術雑誌『ステューディオ』などの資料を提供してサポートしました。五葉はこれらを自身の中で消化し再構成して、斬新かつ日本人に合ったデザインを作り上げたのです」(中島さん)

本の天(上方の小口)に、装飾と埃よけのために金箔を貼る「天金」。小口を化粧裁ちせず、袋とじ状態のページをペーパーナイフで切りながら読み進めていく「アンカット」。洋装本の様式を取り入れた、こうした新奇で高級感のある本づくりも、読者を大いに驚かせ嬉しがらせた。これも、漱石のアイデアだったに違いない。

サライ1月号の特別付録は
夏目漱石『吾輩は猫である』初版本ブックカバー

明治の息吹を醸し出しながら、現代的な知性を感じさせる洒落たブックカバー。丈夫な生地が愛読書を汚れや破損から守ってくれる。外出先での読書が一段と楽しくなる。

本を持ち歩いて読みたい時に、汚れや破損を防ぐブックカバー。旅先や乗り物の中、喫茶店などで使いたい、読書好きには欠かせない品である。

今号の特別付録「夏目漱石『吾輩は猫である』初版本ブックカバー」は、橋口五葉による上編・下編の装幀を、しっかりした生成りの布にあしらった。文庫本サイズで、折り込むことによりさまざまな本の厚みに合わせることが可能だ。

漱石は、自身最初の単行本を出すに当たり、自らが抜擢した若き橋口に存分に仕事をさせた。その意匠を生かし、明治の息吹を今に伝えるとともに、知的で洒落た逸品に仕上がっている。

電子書籍の普及が進む昨今であるが、「カバーを掛ける楽しみ」も感じられる一品、ご愛用いただきたい。

表紙(左)に上編、裏表紙(右)に下編の図案が入るオリジナル。
文庫本サイズで厚みに合わせて折り込め、便利なしおり付き。
『サライ」1月号の特別付録は「夏目漱石『吾輩は猫である』初版本ブックカバー」。橋口五葉による上編・下編の装幀を、生成りの布にあしらった文庫本サイズ。折り込むことによりさまざまな本の厚みに合わせられる。

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※この記事は『サライ』本誌2022年1月号より転載しました。

 

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