今年2017年は明治の文豪・夏目漱石の生誕150 年。漱石やその周辺、近代日本の出発点となる明治という時代を呼吸した人びとのことばを、一日一語、紹介していきます。

【今日のことば】
「人間の生滅も花の開落と同じく宇宙の現象としてこれを眺めつつある」
--高浜虚子

高浜虚子は、作家・夏目漱石の誕生に不可欠の存在だった。正岡子規に託された俳句文芸雑誌『ホトトギス』の編集人として、すぐれた手腕を発揮。ロンドン留学から帰国した漱石に「何か書いてみては」と促し、デビュー作『吾輩は猫である』の誕生を引き出したのである。

そんな高浜虚子が、俳人として、自ら守旧派を宣言して立ち上がったのは、大正2年(1913)、39歳の折だった。強い決意をこめ「春風や闘志いだきて丘に立つ」の一句を詠み、こんな文章を添えた。

「余は闘おうと思っておる。闘志を抱いて春風の丘に立つ。句意は多言を要さぬことである」

一体何がこんな宣言をさせたのか。

実はこの頃、河東碧梧桐らが推し進める俳句の新傾向運動が、斯界を席巻する勢いを見せていた。運動は次第に過激さを増し、17文字の定型破壊のみならず、季語無用といったところまで突き進もうとしていた。虚子はそうした動きを黙過できず、旧来からの古典文芸としての俳句を継承していく姿勢を、ここにはっきり打ち出したのである。

虚子と碧梧桐の両人は、ともに松山の生まれ。中学、高校で机を並べた親友で、郷里の先輩である正岡子規に師事した。後年、子規門の双璧と目されていく彼らを、子規はこう評している。

「碧梧桐は冷かなること水の如く、虚子は熱きこと火の如し」

もともとが、対照的な個性を持つふたりだったのである。子規という要を失ったあと、進む方向性が別れていくのも、必然のことであったのかもしれない。

もちろん、虚子は単なる守旧派などではなかった。伝統を踏まえて「客観写生」と「花鳥諷詠」を打ち出しながら、その句世界は力強く深化と解脱を遂げ、やがては、何物にも執着せず、すべてを肯定して生きる哲学的境地にまで磨き上げられていった。

時間の本質を喝破し川端康成に衝撃を与えた「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」の句も、蜘蛛の姿に己の俳人たる宿命を重ねた「蜘蛛と生れ網をかけねばならぬかな」の句も、そんな虚子ならでは詠み得たものだったろう。

虚子の俳人的視野は、ついには宇宙的な広がりをも獲得していく。『執(いず)れも宇宙の現れの一つ』と題する一文に、

「私は八十年の月日を多くの人と共に暮してきたが、又多くの山川草木と共に暮してきた。(略)そうして人間の生滅も花の開落と同じく宇宙の現象としてこれを眺めつつある」

と綴る一方で、「地球一万余回転冬日にこにこ」という句を詠んでいる。これは、結婚30周年を迎えた知人夫妻へ贈った祝いの句で、30年というと地球が1万と900 回転ほど自転した計算になるのだった。

昭和12年(1937)、河東碧梧桐は満64歳を目前に病没した。虚子は「碧梧桐とはよく親しみよく争ひたり」の前書きをつけて、次の追悼句を捧げる。

「たとふれば独楽(こま)のはじける如くなり」

俳句理論の上では厳しく対立してぶつかり合っているように見えても、ふたりの個人的な友情は、生涯変わらなかったのである。そして、ふたつの独楽は、それぞれに受け継がれ、まわり続けていく。虚子はそののち20余年、85歳まで生きた。残した句は優に3000を超える。

文/矢島裕紀彦
1957年東京生まれ。ノンフィクション作家。文学、スポーツなど様々のジャンルで人間の足跡を追う。著書に『心を癒す漱石の手紙』(小学館文庫)『漱石「こころ」の言葉』(文春新書)『文士の逸品』(文藝春秋)『ウイスキー粋人列伝』(文春新書)『夏目漱石 100の言葉』(監修/宝島社)などがある。2016年には、『サライ.jp』で夏目漱石の日々の事跡を描く「日めくり漱石」を年間連載した。

 

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