今週放送の第41話を終えて残り3話となった『麒麟がくる』。丹波攻略に励む光秀と信長との間の溝が、よりいっそう深まった。
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ライターI(以下I):『麒麟がくる』もいよいよ佳境ですが、冒頭から〈将軍足利義昭〉というフレーズが2回も出てきました。
編集者A(以下A):教科書では、室町幕府は元亀4年(1573)7月に将軍足利義昭の追放を以て滅亡したと書かれていることが多いので、この段階で将軍職もはく奪されたと思われがちですが、劇中の天正5年(1577)も現役の将軍でした。そのことを強調するかのようなナレーションと光秀の台詞でした。
I:鞆の浦(現在の広島県福山市)の御所で暮らす義昭(演・滝藤賢一)が未だ各地の大名に反信長の兵を挙げるよう御内書を書き送る姿が描かれました。
A:吉川駿河守、平賀新四郎、周布兵庫頭、草苅次郎の4名に宛てた御内書が本当に一瞬だけ映し出されました。吉川駿河守は吉川元春のことですかね。ほかは安芸や美作の国人だと思われます。
I:また一時停止して確認しましたね(笑)。こういう1秒にも満たない場面も美術チームは手抜きせずにしっかり仕事してますねぇ。ところで、本能寺の変まで残り僅かですが、いったいどんな動機になるのか本当に気になります。朝廷がかかわってくるのか、それとも将軍義昭なのか、はたまた家康(演・風間俊介)あるいは秀吉(演・佐々木蔵之介)が噛んでくるのか……。
A:今のところ、そのいずれになっても不自然ではないお膳立てになっていますが、意表をついて、それ以外の動機が採用されるかもしれません。これまでのすべての場面が伏線になっているのではないかと気になります。それこそ、第34話で松永久秀(演・吉田鋼太郎)が易を立てている場面も思い出されて、もしや……などとも考えてしまいます。とにかく最後まで見届けないとなんともいえないですね。
I:その緊迫した中で、丹波攻略の場面がようやく描かれました。
A:亀山城(京都府亀岡市)の場面ですね。全国的には信長に対する謀反人というイメージの強い光秀ですが、丹波では「善政を敷いた恩人」という言い伝えが残っています。今週の亀山城では、「善政を敷いた光秀」を想起させる台詞がありました。
I:〈焼けた城の跡に城を築かぬこと。戦で焼け落ちた橋をかけ直し、踏み荒らした田畑を耕し直し、急ぎ領地を回復せしむること〉〈皆、家にお帰りなされ。しばらくは方々の田畑から年貢は取らぬ〉ですね。なんだか長谷川さんの演技にしびれる場面でした。
A:本能寺の変に際して光秀はここ亀山城から出陣しています。城跡には現在宗教法人の大本の本部がありますが、見学は可能になっています。私たちも一昨年の秋に取材に行きましたが、「ここから出陣したんだぁ」と光秀の思いを感じるには絶好の場所ですよね。
I:「光秀の善政」といえば、福知山城のある福知山市には、「光秀善政」にまつわる史跡がいくつか残されています。一方で、光秀が築城した福知山城には、石垣に墓石などの転用石が使われているのがよくわかります。劇中で信長による二条城築城時に仏像を転用している場面で、光秀の意味ありげな表情が映し出されましたが、史実とドラマの間(はざま)を実感できるかと思います。
A:ところで、丹波の国衆との場面では、ことさら印象深い台詞が丹波国衆から発せられました。〈われらは代々足利将軍より領地を預かり、恩顧を受けてきた。その将軍が京を追われ、西国の地からわれらに助けを求めておられる。これまでの御恩に報いるために戦うほかあるまい!〉ですね。国衆が足利将軍家にこれほどまでに心酔していたかどうかはわかりませんが、数は少なくともこういう国衆がいたら天下統一も厄介だよなあと思いました。
I:私は、このすぐ後に斎藤利三(演・須賀貴匡)に発した光秀の台詞が心に残りました。〈われらが戦うておるのは国衆ではない。備後におられる足利将軍じゃ〉です。なんだか義昭を突き放したような言い方が少し気になりました。
A:いやいや、光秀はきっとまた義昭に回帰するのではないかと私は見ています。
I:三重大学の藤田達生先生の『明智光秀伝 本能寺の変に至る派閥力学』にかかわったAさんならではの希望的観測と受け取っておきます(笑)。
【光秀息女たまと細川忠興婚姻の持つ意味。次ページに続きます】