文/藤原邦康

これまでアゴとスポーツの知られざる関係性について述べてきましたが、その締めくくりとして今回はスポーツに深く関わるキーパーソンたちから生の声をお届けします。

前回はこちらです】

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東京歯科大学口腔健康科学講座スポーツ歯学研究室 武田友孝教授(左)。右は筆者。

東京歯科大学口腔健康科学講座スポーツ歯学研究室 武田友孝教授(左)。右は筆者。

正しく噛むことが怪我予防につながるという説には、実は理論的な裏付けがあります。東京歯科大学口腔健康科学講座スポーツ歯学研究室の武田友孝教授にお話を聞きました。武田先生は、健康増進や身体機能の観点から、スキー、ラグビー、野球、障がい者スポーツなどにおいてアスリート支援のためにかみ合わせ診療をしています。

適切に噛むということは怪我の予防にかなり効果がある

「適切に噛むということは怪我の予防にかなり効果があります。 例えばスキーで転倒する際には、後頭部を雪面に打ち付けないように『グッと噛んでヘソを見ろ!』と指導します。転倒の際にタイミングよく噛むことで、頸部の筋の活動性も上がり後頭部に加わる直接的な外力を軽減でき、脳震盪を起こすような衝撃力を減らすことができると考えられます。脳震盪は直接的な衝撃だけではなく首が揺さぶられて生じる間接的な外力によっても、起きることがあると言われているのですが、間接的な外力に対しても適切に噛むことによって頭の揺れが抑えられることが実験でも証明されています。正しく噛むことで 安全性も高まることをアスリートの皆さんに知って欲しいですね」

――武田先生はアスリート用のマウスガードも作っていらっしゃいますが、怪我予防以外にも効果はありますか?

「はい。口の中を整え正しいマウスガードを作ることによって的確な噛み締めができるようになりますし、咀嚼筋の筋活動が上がります。ただし、高い筋活動がパフォーマンスに直結するわけではなく、噛むタイミングが重要ですね。例えば、スキーのターンでもずっと食いしばっているわけではなく、ポイント・ポイントで噛んでいることが実験によって分かりました。アルペンスキーの場合は、ターンでグッと踏ん張る時に結構噛み締め、体が伸びる時は力を抜いています。これを左右交互でやっているということが判明しました。同じスキーでも、 モーグルの場合は滑走中にかなりの頻度で噛んで踏ん張り体を安定させているイメージです」

――つまり、「噛むこと=体の固定」というイメージでよろしいでしょうか?

「はい。スキーでターンする時も固定のために、体軸が定まる時は噛んでいます。生まれつき備わっている反射によって、噛み締めると体は前傾し下肢は伸びます。拳を握りしめたり食いしばったりするなどの複数の刺激で全身の筋肉が促通(そくつう)されるのですが、手を握るより噛む方が効果的であることが分かっています。 噛むことによって、伸ばす筋肉と曲げる筋肉の両方にスイッチが入り固定する力として働くため、前傾姿勢やゆっくりした動作には効果があります。野球では球を打つ時は噛んで力が抜けないようにしています。

陸上であれば、スタート直後の10歩ほどは結構噛んでいます。別の研究でも、マウスガードを入れてしっかり噛んだ時の方がジャンプ力が上がることが判明しています。逆に、ゴール前では顎の力を抜いてリラックスさせることが理にかなっています」

顎関節を弛緩することと緊張することの両方が重要

――なるほど。メリハリが大切だということですね?

「はい、顎関節を弛緩することと緊張することの両方が重要です。例えば、重量挙げだったら『食いしばった方が良い』と言われていますがが、それは少し違ってポイント・ポイントで噛むことが大事です。スナッチでも、持ち上げる時は噛んだ方がいいですが、跳ね上げる動作では口の力を抜いている。ハンマー投げでも、投げた瞬間に口を開いている写真をよく目にしますが、その前の段階までは結構噛んでいます。口を開いていると力が逃げてしまうので、エネルギーロスを防ぐために結構噛んでいると考えられます。野球でもバットを振り出すときには口元の力は抜けていて、球を打つ時には噛んで力が抜けないようにしています」

――正しいかみ合わせも重要ですね。

「そうですね。顎位(がくい=アゴの位置)をずらす実験をしたところ、正しくない位置で上下の歯を合わせて立ってもらうと頭の位置が側方移動の方向に4mmほど傾くことが分かりました。顎関節がずれていると、全身の平衡機能が乱れバランスが崩れるわけです。顎関節は人間の体で唯一、一つの骨が左右から宙ぶらりんに吊り下げられている構造です。顎関節症になって左右にかみ合わせに偏りが生じると、バランス機能に影響すると考えられます」

――正しく噛めていない人にはどのような心がけが必要でしょうか?

「顎位が安定していないアスリートには、普段から猫背や悪い姿勢を正してもらいます。あとは、不必要に噛みしめる癖がある選手はその習慣を変えてもらいます。人間も動物ですから噛むこと自体が元々攻撃。交感神経の活動ばかりが上がってしまいますから、噛み続けることは体には良くないであろうという結論になります。咀嚼筋をゆるめるセルフ・マッサージをしたり生活習慣を見直したりしてもらうと良いですね。噛みしめの不要な時は、なるべく力を抜いて姿勢を正す。仕事の時などもずっと同じ姿勢をしないように時々伸びをすることをおすすめします」

「食いしばること=体の固定」「口元をゆるめること=敏捷性」という知識を備えておけば、正しい姿勢を保ち健康増進に役立てられます。東京オリンピック・パラリンピックも来年に迫ってきました。スポーツというとなかなか自分ごとに思えない読者も、これらの視点でスポーツ観戦を楽しんだり、家族やお知り合いのスポーツ愛好者にアドバイスをしたりしてみてはいかがでしょうか。

文/藤原邦康
1970年静岡県浜松市生まれ。カリフォルニア州立大学卒業。米国公認ドクター・オブ・カイロプラクティック。一般社団法人日本整顎協会 理事。カイロプラクティック・オフィス オレア成城 院長。顎関節症に苦しむアゴ難民の救済活動に尽力。噛み合わせと瞬発力の観点からJリーガーや五輪選手などプロアスリートのコンディショニングを行なっている。格闘家や芸能人のクライアントも多数。著書に『自分で治す!顎関節症』(洋泉社)がある。

 

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