101歳の長寿を全うした画家
曽宮一念(そみやいちねん・1893-1994)は洋画家、随筆家。東京に生まれ、東京美術学校(東京藝術大学の前身)を卒業。文展、二科展などに出品し、国画会に長く所属。セザンヌ、ゴッホなど後期印象派の影響を受けた風景画を得意とした。
そして、昭和20(1945)年に、静岡県富士宮市に住居を構え、101歳で亡くなるまで、半世紀に及ぶ後半生を静岡で過ごした。多くの風景画を描いた曽宮一念だが、静岡に長く住みながら、なぜか富士山を描くことはなかった。
その後、緑内障により78歳で失明。
曽宮一念は、若い頃から緑内障に苦しみ、失明によって画家を廃業した。しかし、文筆にも秀でていた曽宮はその後、随筆や短歌の創作に場を移す。
徳川家康も愛した「浜名の納豆」
曽宮の大好物は納豆、それも一般的な糸引き納豆ではなく、浜納豆と呼ばれる茶褐色の乾燥した納豆だった。
浜名納豆(はまななっとう)ともいい、今川義元や豊臣秀吉の頃は「唐(から)納豆」の名だったが、徳川時代に納期が遅れ、徳川家康が「浜名の納豆はまだか」と毎年献上されるのを楽しみにしていたことが名の由来という。
曽宮は子供の頃から浜納豆が大好きで、そのまま食べるほか、味噌汁に入れたり、白米に浜納豆とバターをまぜて食べたりと、さまざまな食べ方を工夫したようだ。
浜納豆は栄養価が高く、曽宮の創作力の源となったことだろう。失明という苦難にもかかわらず、旺盛な活動を続け、101歳の天寿を全うした。
文/内田和浩