ドナルド・キーンさんが亡くなって、間もなく5年。かつて父と一緒に摂った朝食が、今も多忙な三味線奏者の健康源だ。

【キーン誠己(せいき)さんの定番・朝めし自慢】

前列右から時計回りに、パパイヤ1/2個(ライム)、クロワッサン、バター、ストロベリールバーブジャム、コーヒー、黒大豆搾り(下画像参照)。パパイヤにはライムを搾って食す。クロワッサンは別荘のある軽井沢(『ツルヤ軽井沢店』)で購入し、冷凍保存している。バターとジャムはクロワッサンにつける。ナイフとスプーンはドナルド・キーンさんの両親が結婚した時に記念に誂えた品で“K”の文字が刻印されている。100年以上を経る愛蔵品だ。
2007年1月2日の朝食。ドナルド・キーンさんが元気な頃で、コーヒーを注いでいるのは彼。今の
誠己さんの献立と変わらないが、黒大豆搾りを飲むようになったのは10年くらい前からで、当時の食卓にはまだ登場していない。
「麹発酵 黒大豆搾り」720mL 2376円。
問い合わせ:堤酒造/熊本県球磨郡あさぎり町岡原南390-4
電話:0966・45・0264
「朝7時半~8時に起床、朝食は8時半~9時頃です。昼はトースト1枚とサラダに紅茶程度。夜はご飯党。父が元気な頃から食事は基本、私が作っていました」と、父親の遺影が見守る食卓でのキーン誠己さん。着ているセーターは、父親が愛用していた形見の一品だ。

人形浄瑠璃は太夫(語り手)、三味線、人形遣いの3人によって演じられる人形芝居だが、浄瑠璃三味線演奏者のキーン誠己さんは、語りと三味線の両方を担う。いわゆる弾き語りである。

人形浄瑠璃(文楽)との出会いは学生時代。新潟に生まれ、東京外国語大学フランス語学科に進学するも、大学紛争中で講義はない。

「ある日、国立劇場で文楽を観たのです。四世竹本越路太夫さんの舞台でしたが、私は情景や人物の心情を語るように弾く三味線に強く惹かれました」

浄瑠璃の三味線弾きとして舞台に上がっていた、30歳前後の頃。国立劇場の研修生として伝統芸能のひと通りを学んだ。この2年間が、以降の舞台活動にも大いに役に立ったという。

国立劇場文楽研究生第一期生となり、2年の研修を経て、大学卒業と同時に初舞台。だが、仕事は激務だった。25年の舞台活動の後、健康を害して帰郷。家業の造り酒屋を手伝いながら、弾き語りによる義太夫の演奏活動を続ける。

そんな時に出会ったのが、佐渡に伝わる古浄瑠璃だった。その知識を得たくて、日本文学や日本の古典芸能の魅力を世界に広める、日本文学研究者のドナルド・キーンさんを訪ねる。誠己さん、50代半ばのことである。

2006年11月、新宿文化センターの楽屋にキーンさんを訪ね、初めて対面した。撮影は当日、「上方文化を遊ぶ」と題してキーンさんの対談相手だった小説家の平野啓一郎さん。

誠己さんの浄瑠璃を愛する心、熱い思いがキーンさんに伝わったのであろう。ふたりの距離は日に日に縮まり、東日本大震災後に寝食を共にするようになる。そして2012年3月、誠己さんはキーンさんの養子となったのである。

キーンさんと誠己さんの養子縁組記念写真。2012年、誠己さんの新潟の生家で。キーンさんは2012年に日本国籍を取得し、「鬼怒鳴門(キーン・ドナルド) 」と漢字表記。養子縁組はその直後だ。

朝のパパイヤ

コーヒー豆をミルで挽き、ドリップでコーヒーを淹れる。キーンさんが健在だった頃からの朝の日課だ。今も誠己さんの一日は、朝のコーヒーをキーンさんに供えることから始まる。

養父・キーンさんは2019年2月24日、日本人として最期を迎えた。96歳であった。父亡き後も、誠己さんは父が元気だった頃の朝食を受け継いでいるという。

それがアメリカ・ニューヨークの老舗スーパーマーケット『ゼイバーズ』のコーヒーに、パパイヤ、クロワッサンという献立だ。

「『ゼイバーズ』のコーヒーは日本では入手できませんが、ニューヨークに行くたびに買ってきます」

キーンさん宛ての手紙──例えば川端康成や谷崎潤一郎といった作家や、東山魁夷ら画家からのもの1000通余りをコロンビア大学に寄贈しているので、定期的にニューヨークを訪れるからだ。

果物はパパイヤがない時はメロンや葡萄、洋梨などに替わることもある。キーンさんは柿も大好物だったという。

座業が多いので、運動不足になりがち。歩くことを心がけている。1日1万~1万5000歩が目標だ。旧古河庭園沿いの小径を歩く誠己さん。キーンさんも、好んでよく散歩をした小径だという。

公私にわたる父の足跡、業績を正しく後世に伝えていきたい

越後猿八座 「越後国柏崎弘知法印御伝記」公演で三味線と語りの二役を演じる誠己さん。2009年6月、キーンさんの提案で、古浄瑠璃の正本をもとに300年ぶりの復活上演。佐渡の人形遣い、西橋八郎兵衛さんの協力を得て、誠己さんが新たに音楽を作曲した。(撮影/渡部佳則)

昨秋、誠己さんは父の助言で始めた古浄瑠璃、『弘知法印御伝記』を英語歌舞伎で上演。今年はキーンさんと三島由紀夫が知り合って70年になることから、それを記念して三島作の狂言を演じる企画もある。それらの舞台活動と並行して、講演でも東奔西走する。

「2020年にドナルド・キーン記念財団を設立し、父が常々いっていた“僕は日本文学や日本文化の伝道師”という活動を継承したいと思っています」

ドナルド・キーン記念財団代表理事としてキーンさんを検証し、正しく伝えていくことも寝食を共にした誠己さんならではの仕事。左は昨秋、松山市立子規記念博物館で「父ドナルド・キーンとの日々」と題して講演をする誠己さん。

その具体例が全国各地で開いている講演会だ。

「父の足跡や業績を辿り、広く深い精神世界、知的世界を見つめ、正しく後世に伝えていくことが私の責務だと心得ています」

キーンさんはまた、最晩年まで45年にわたって暮らした東京・北区が大好きだった。近所の商店街で買い物をし、週に一度は“厨房の人”となって、誠己さんや友人らに振る舞った。得意料理の多くは『ニューヨークタイムズ』のクックブックから選んだものだったが、それらは北区のキーンファンにより再現されている。

健啖家であったキーンさんは、自ら包丁も握った。キーンさんの得意料理は東京都北区在住の料理研究家らによって再現されている。その料理講習会で「父の料理」を話す誠己さん(左中央)。

※この記事は『サライ』本誌2024年2月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 写真協力/風間忠雄 松山市立子規記念博物館 北区滝野川文化センター)

 

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