今年101年目を迎えた酒蔵社長。超多忙な日々だが、朝食は自ら作る。生まれ育った魚沼の味が、体力と気力の源だ。
【南雲二郎さんの定番・朝めし自慢】
霊峰・八海山の伏流水“雷電様の清水”を仕込み水に、厳選された酒米と蔵人たちの卓越した技術によって醸される「八海山」。この日本酒を手がける『八海醸造』は大正11年、雪深き新潟・魚沼の地に誕生した。創業者は、南雲浩一。現社長の祖父である。浩一亡き後は、子息の和雄にその経営が受け継がれた。昭和28 年のことだ。
「祖父が立ち上げた小さな酒蔵を父・和雄が育て上げ、現在の『八海醸造』の礎が築かれたのです」
と、3代目社長の南雲二郎さんが語る。淡麗と評される「八海山」の味を作ったのは、和雄社長を支えた杜氏の高浜春男である。
酒蔵と一体となった実家で育ったという3代目は東京農業大学、新潟県醸造試験場を経て、昭和58年に『八海醸造』に入社。以来営業ひと筋に進み、平成9年に社長就任。歴史を守りつつ今、その眼が捉えているのは世界市場である。
さて昨今、純米酒や吟醸酒がもてはやされる風潮にあるが、「私どもが目指すのは、食中酒として料理の味を引き立て、そこに集う人たちのコミュニケーションを円滑にするお酒。それには最初は口当たりのいい純米酒、食中は料理の邪魔をしない本醸造酒という流れで考えています」
『八海醸造』では大吟醸造りを基本とし、その最高の技術を本醸造にも応用する。それが同社の神髄である。
料理好きで、魚沼の味を継承
南雲社長は多忙だ。自宅のある新潟・魚沼、グループのウイスキー蒸溜所のある北海道・ニセコ、さらに東京と、1か月のうち3か所を巡る。にもかかわらず、料理好きで、朝食は自分で調える。
「ニセコや東京では前夜に飲むことが多いので、体が汁物を欲しがる。だから、うどんなどが多い。出汁は東京・築地の『つきぢ尾粂』の無塩基本出汁を常備しています。魚沼では母の味が懐かしくて、和食献立に野菜料理などです」
母である南雲仁は地元の野菜などで得意先をもてなし、営業の隠れた力となった人。また、蔵人からは“おっかさま”と慕われ、蔵人の食事も担当。“同じ釜の飯を食べる”という仁の精神が、現在の「八海山みんなの社員食堂」に受け継がれている。
米と麴と発酵をテーマに“終わらない会社”を目指す
新潟県には創業200年、300年といった老舗の酒蔵が点在する。それらに比べれば、『八海醸造』の歴史は浅い。
「だからこそ、常に挑戦者の気持ちです。日本酒だけに頼っていたのでは、将来、会社は終わってしまうかもしれない。だから、長年の日本酒造りで培った米と麹と発酵の技術を生かして、新しい製品にも取り組んでいます」
平成10年の地ビールを皮切りに本格米焼酎や甘酒の製造、また基礎化粧品などの開発・販売に着手。一昨年には北海道ニセコ町でウイスキーやジンを造るグループ会社、ニセコ蒸溜所もオープンした。
なかでも、顕著な実績を上げているのが「麹だけでつくったあまさけ」である。この甘酒には同社の麹づくりの技術が生かされている。60%まで米を削った高精白米で造った麹が、雑味のない上品な味わいを醸し出しているのだ。
「この麹甘酒は肌の保湿効果や便通改善効果が認められ、今夏、機能性表示食品になりました」
目指すは米と麹と発酵、そして水をテーマに“永遠に終わらない会社”である。
※この記事は『サライ』本誌2023年10月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )