医史学の第一人者は鰻(うなぎ)が大好物。普段の朝食はあるもので済ます主義だが、ここぞという日に登場する鰻重が元気の源だ。
【酒井シヅさんの定番・朝めし自慢】
“医史学”という言葉をご存知だろうか。“医学史”ではない。“医史学”である。
「医史学とは、医と人との歴史を研究する学問。過去の文献資料を基に、医に関わるあらゆる事柄を、人間の生活との関わりでとらえる学問のことです」
と、医史学者で順天堂大学名誉教授の酒井シヅさんが説明する。
昭和10年、静岡県に生まれ三重県で育った。三重県立大学(現・三重大学)医学部に入学し、医者を目指すも、卒業後は東京大学大学院で解剖学を学ぶ。
「人間の体についてもう一度、基礎からきちんと学びたいと思ったからです。解剖学では“脳の細胞”を専攻していたのですが、脳の中はミクロの世界。どんどん小さいところへ入り込んで、周りが見えなくなった。そんな時に研究室の小川鼎三先生から“医学の歴史は面白いよ”と勧められたんです」
脳の世界と違って、歴史は知れば知るほどフィールドが広がり、過去を知ることで現在・未来が見える。当初は数年で解剖学に戻るつもりが、その魅力にとり憑かれて小川鼎三博士が初代教授となった順天堂大学医学部の医史学研究室に助手として入る。昭和42年のことである。以来、この道ひと筋に歩み続けてきた。
師亡き後は医史学の第一人者としてNHK大河ドラマ『花神』『獅子の時代』『八重の桜』、漫画『JIN─仁─』及びそのドラマ化作品、映画『るろうに剣心』などの医学考証・監修と幅広く活躍中だ。
鰻が大好物
医史学者は87歳になる今も多忙だ。自らの研究に加え、趣味も多彩。月1回の俳句の会、同2回の料理教室、ペタンク(フランス発祥の球技)にも興じる。
「料理教室は食べるのが専門だけれど(笑)、料理を作るのは決して嫌いではありません」
平成12年に母を亡くし、今はひとり暮らし。朝食はご飯と味噌汁に昨晩のおかずの残りと合理的だが、やや元気が足りないと思った日は、大好物の鰻重と決めている。
「度々訪れてくれる甥が持ち帰ってくれる贔屓の店の鰻重が一番のご馳走。この日は朝昼兼用です」
医史学者の生涯現役の秘訣は、ブランチの鰻重が支えている。
医師や看護師らの卵に、倫理の精神を説くのも私の使命
順天堂大学医学部教授や同医療看護学部教授、日本医学教育歴史館館長を歴任しながら、ここ20年以上、“本草学の会”や“古文書を読む会”などを主宰してきた。場所は大学の医史学研究室、参加者は医学生はもとより一般人も大歓迎。学びたい志があれば、老若男女を受け入れてきた。それがコロナ禍で、この3年余り中断。
「今は毎日が日曜日よ」
と笑うが、医史学者にはまだやらねばならないことが山積みだ。
「医史学を地球に喩えると、日本列島の九州ぐらいの範囲しかまだ分かっていない。テーマは無限にあり、学ばなければならないことがいっぱいです」
医療が職業として成立した時点から現代まで、その底流に一貫して流れる倫理観を極めることも、医史学という学問の任務だ。科学の重要性とともにその危うさ、人の健康があっての科学だと、若い医師や看護師に説いていきたい。
医史学研究室は、日本の医科大学では順天堂大学にしかない。その語り部として、医療と倫理の精神を学生らに引き継いでいくのが使命と、覚悟する。
※この記事は『サライ』本誌2023年7月号より転載しました。年齢・肩書き等は掲載当時のものです。 ( 取材・文/出井邦子 撮影/馬場 隆 )