日本全国には大小1,500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)すお酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざです。
そこで、「美味しいお酒のある生活」を提唱し、感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。
【今宵の一献】十八盛酒蔵『多賀治 純米直汲み生原酒・雄町』
「ピチピチした炭酸を含んだお酒をください」
最近、私どもの酒販店「白菊屋」を訪れる若いお客様を中心に、そんなふうな声をよく聞くようになりました。ワインでいえばスパークリング、なかに炭酸ガスが溶け込んでいる発泡性の日本酒です。
お酒の醪(もろみ)は発酵することでアルコールと炭酸ガスに分かれます。しぼりたての原酒には目に見えないほど細かな炭酸ガスが沢山溶け込んでいます。そのまま火入れを行わない生酒には、微量な炭酸ガスが残り、美発泡する日本酒になることもしばしばです。
先頃、紹介した『醴泉(れいせん) 活性にごり酒』(「今宵の一献」第8回)などは、その際たるもの。発酵中のお酒を粗濾過にて瓶詰を行っていますので、とりわけ発泡力が凄まじく、うっかり開栓すると、とんでもない事態を招くことは、すでにお伝えしたとおりです。
なかには後で炭酸ガスを人工的に注入してつくる発泡酒もありますが。
ひと昔前に比べて、よりフレッシュ感のあるお酒が求められている時代です。口のなかでピチピチとはじける発泡酒ならではの炭酸ガスの刺激が新鮮さを強く感じさせるからこその静かなブームなのかもしれませんね。
昨年の春過ぎのことでした。突然、ある蔵元さんが私どもの店を訪ねてこられました。「自分の造った酒を利いて欲しい」とおっしゃるのです。
持参されたのは「雄町」という酒米を使って醸した純米原酒。それも火入れ、つまりは熱処理済みのお酒です。ところが、ひと口飲んだ瞬間、口の中で芳醇な旨みとともに、バチバチっと炭酸ガスが弾けました。「え! これ“火入れ”のお酒ですよね!?」そう何度も聞き返したのを憶えています。
一般的に、「生酒」でも二酸化炭素のガスっ気を残存させるのは、なかなか難しいことが多いのです。作業工程が増えるごとにガスは抜けていきます。ましてや、火入れによって熱処理されれば、瞬時に炭酸ガスは飛んでしまうというのが常識ですから、かなり衝撃的ではありました。
何より、お酒そのものが美味しかったので、私としては珍しく即決で取引をお願いすることになりました。
お酒の名前は『多賀治(たがじ)』といいます。
岡山県は倉敷市。瀬戸大橋の袂(たもと)の小さな港町・児島にある蔵元「十八盛酒造(じゅうはちざかりしゅぞう)」がつくっているお酒です。
その酒蔵は、かつては香川の金比羅山と並ぶ船の守護神として敬われ、厄除けの寺として名を馳せてきた由加山蓮台寺の参道口に位置しています。
創業は1785年。以来、230年以上の歴史を持ち、現在は8代目を継ぐ石合敬三(いしあい・けいぞう)さんが蔵元兼杜氏として、経営から酒造りの現場までを担っています。蔵内の事務所は、江戸時代の建物だそうです。
主要銘柄は蔵名と同じ「十八盛」で、今も地元の人に親しまれています。
今回ご紹介する『多賀治』は、3年前に誕生したばかりの新しい銘柄ですが、使用する酒米は『多賀治』に限らず、すべて岡山産にこだわっています。
蔵主の石合敬三さんは、元々は電気関係の技術者で、奇しくも私の店がある高槻市の某大手電機メーカーの工場に勤務していらしたのだそうです。
しかし、十八盛酒造7代目の父親から家業を継ぐよう懇請を受け、故郷に戻ったのは今から約20年前のこと。その頃は、広島の安芸津杜氏(あきつとうじ)や兵庫の但馬杜氏(たじまとうじ)が入れ替わりつつ、酒造りを担ってくれていたのです。
ところが、平成23年度の醸造を終えた時点で、杜氏さんが高齢のために引退したことから事情は一変しました。翌24年からは、石合さん自らが酒造りに精勤しなければいけない事態とはなったのです。
造りに関しては素人同然の状態で、知り合いの蔵元に教えを乞いながら試行錯誤、暗中模索を繰り返す日々が始まります。そんな必死な取り組みのなかから、ついに生まれた酒が『多賀治』だったのです。
その酒の名は、十八盛酒造5代目・石合多賀治にあやかったもの。多賀治は代々の蔵元のなかでも、とりわけ革新的な酒づくりに挑戦し続けていた出色の存在だったそうです。
酒蔵創業時の初代の名は志保屋幸助。2代目は石合幸助。3代目・4代目も石合幸助で、代々「幸助」の名を襲名するのが伝統でしたが、それを「嫌!」の一言で終わらせてしまったのも5代目多賀治でした。何よりも自分を表現する酒づくりを企図、常に斬新なチャレンジャーであり続けた5代目多賀治――その生き様に習い、そこに自身の姿を重ねて生み出し得たお酒です。
『多賀治』は岡山を代表する酒米「雄町」で醸した“純米直汲み無濾過生原酒”です。“直汲み”には、いくつかの方法はありますが、簡単に言えば搾り機から溢れ出るお酒をタンクに溜めずに、いきなり瓶に詰めることをいいます。通常の瓶詰作業に比べると、手間も時間もかかり、いろいろな意味で大変なのですが――その分、しぼりたての酒が空気に触れることが少ないため、炭酸ガスが瓶内に残りやすく、フレッシュさは抜群です。
『多賀治』には炭酸ガスがたっぷり溶け込んでいて、口中に含むとバチバチとはじけます。加えて、雄町米ならではの濃淳な旨みと甘み、それを引き締める酸が絶妙でジューシー感のある仕上がりです。
開栓したては、それこそフレッシュ感いっぱいで美味しく愉しめます。1~2週間も経つと、さすがに炭酸のガスっ気は抜けてきます。
じつは、そこからが『多賀治』の真骨頂で、甘みがグッと前に出てきて、開栓したてのときにはない美味しさが口に広がります。
生酒は封を切ったらより早く飲むのが一応の常識ですが、この『多賀治』に関しては、ゆっくり時間をかけて愉しんでいただけます。
今宵の一献『多賀治』に、大阪・堂島『雪花菜(きらず)』の間瀬達郎さんはどんな料理を合わせてくれるのでしょうか。
出てきたのは、このシリーズ初のご飯もの「大羽鰯(おおばいわし)の吹き寄せご飯」です。大羽鰯は、真鰯の大きなサイズのもの。そのサイズによって小羽鰯・中羽鰯・大羽鰯の3種に大別して呼ぶのだそうです。
間瀬さんは「『多賀治』に米の甘みとボリュームを感じた」ので、「今の時期の油がたっぷり乗った鰯を使い、人参、牛蒡(ごぼう)、生姜を入れて醤油ベースで炊いた」とのことです。最後に百合根と銀杏を加えて混ぜ合わせると、素敵な秋を感じさせてくれる吹き寄せご飯になります。
赤、黄、茶と紅葉した葉っぱが、秋風に吹き寄せられたように見えるとことから「吹き寄せご飯」」と呼ぶわけです。
『多賀治』は甘みもある反面、味のバランスをうまくとる酸味もしっかりしています。人によっては、あるいは酸を強く感じる方もあるでしょうか。
そんな酒の味わいに、鰯の腸(はらわた)の苦味も良い具合に調和します。やはり鰯の油でしょうか、前に出ていた『多賀治』の酸が和らいで驚くほど甘くなりました。まさに酒を引き立てる、酒によく合うご飯です。美味しすぎて、試食なのにお代わりをしてしまったことを告白しておきますね。
通常の酒席で、〆に食べるご飯と酒を合わせるなんて機会は、あまりありません。でも、この組み合わせなら、最後の最後まで美味しくお酒を飲んでいられます。以前、「食後のデザートのときもお酒を楽しみたい」(「今宵の一献」第5回『花垣 貴醸年譜』)と書いたことがありますが、〆のご飯でも美味しくお酒が飲めるのは、なんて幸せなことでしょうか。
さて、『多賀治』には、今回ご紹介した純米雄町ともうひとつ、純米吟醸山田錦の2種類が基本のラインナップです。今年は試験的に「備前朝日」という酒米を使った純米大吟醸の“直汲み”や“山廃仕込み”の純米にも挑戦されています。いずれをとっても完成度は高く、早くも『多賀治』ファンをうならせています。
石合さんはもともと絵画などの芸術・創作が大好きな人だからでしょうね、お酒についても「自分のすべてを表現したい」とおっしゃっています。表現において大事なのは「基本をいかにキッチリとできるか」ということ、その上で「数値よりも本質をより突きつめたい」のだそうです。
お酒の名前だけではなく、5代目多賀治の精神はまぎれもなく、この8代目のなかに生きて受け継がれています。
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。
■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/
間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。
■堂島雪花菜(どうじまきらず)
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分
構成/佐藤俊一