【今宵の一献】笹一酒造『旦 純米吟醸無濾過生原酒』
日本全国に大小1500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)す酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざ。そこで、「美味しいお酒のある生活」を主題に、小さな感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったお勧めの1本を選んでもらいました。
■何も足さず、何も引かず瓶に封じ込める
槽(ふね)の「たれ口」からほとばしる青冴えした液体を、利き猪口(ちょこ)にくんで口をつけると、ごく軽いピリピリした刺激とともに、酒が唇に沁み入ってくる感触があります。搾(しぼ)りたての原酒に含まれる、目に見えないほど細かな気泡、炭酸ガスの刺激です。そして、その芳香と味わいの奥深い広がりは、やはり搾りたての生の原酒でなければ出会えない悦楽です。
そんな新酒ならではの旨味を、何も足さず、何も引かず、そのまま瓶に封じ込めて出荷されるお酒が「無濾過生原酒」と呼ばれるものです。
全国に酒蔵を訪ね歩いて、今まさにできあがったばかりの新酒を吟味させていただく。お客さまとお酒の縁を取り持つ、私たち酒販店の人間にとって、これほど至福に満ちたひとときはありません。
■大正8年創業の蔵元
大阪から5時間をかけてたどり着いたのは、山梨県大月市笹子町。江戸幕府が整備した五街道のひとつ、江戸と甲斐の国(山梨県)を結ぶ甲州街道のなかでも最大の難所といわれた笹子峠で有名な土地柄です。JR中央本線の笹子駅からほど近く、みごとなまでに両側を山に囲まれたの国道20号線、旧甲州街道沿いにたたずむ「笹一酒造」は大正8年(1919)の創業という酒蔵です。
この老舗の蔵で、いま注目の銘酒が2014年に誕生した「旦(だん)」。4代目蔵元の天野行典さんと長男の怜(れい)さんが、従来とは一線を画す酒づくりを企図、能登杜氏(のととうじ)の伊藤正和さんを迎え入れて、ごく少量を丁寧に仕込むことで世に送り出し得た、素晴らしく上質なお酒のシリーズです。
そのひとつが『旦 純米吟醸無濾過生原酒』。最初に触れたように、搾ったままのお酒を何も加えず、何も引かずに瓶詰した逸品です。
■新たな門出にふさわしい銘柄
『旦』。一年の始まりを表す元旦の「旦」でお馴染みの文字ですが、「一」の上に「日」を書くことからもわかるように“地平線からお日さまが昇る時”を意味します。折から様々な出会いと別れが交差する春4月は、新しい1年が始まるとき。そんな出発の季節にいかにもふさわしい名を持つお酒です。
つい先頃、筆者の酒販店をよくご利用いただいているお客さまが結婚式を挙げました。その直前、新郎新婦の両家の父親がともに日本酒が大好きなので「披露宴では感謝を込めた花束に代えて“日本酒の一升瓶”を贈りたい」という相談を受けました。結婚披露宴のフィナーレで一升瓶を両家の父親に贈る情景は、なんとも和やかで微笑ましいかぎりです。
新しい家族の門出を寿(ことほ)ぐのに、私が選んだお酒が「旦」でした。後日、「新婦のお父さんには、とりわけ『旦』を気に入ってもらえた」という、嬉しいご報告もいただきました。
春の陽気が心地良い季節。味の乗った熟成酒でもなく、シャープな辛口の酒でもなく、優しい甘みが花ひらくように広がるイメージで選んだ『旦 純米吟醸無濾過生原酒』の味わいはどうでしょうか。一献(いっこん)くんでみると、蔵元でしぼった当初より明らかに甘味が増しています。
「旦」のシリーズ全般にいえることでもあるのですが、和三盆を思わせる、ほんのりとした上質でくどさのない甘さに、優しい酸が絡むことで、口中にジューシー感が広がる品の良い味わいです。大阪弁でいうなら、「ええ酒やなぁ」としみじみ感じ入ってしまいます。お米から出来るお酒に“ジューシー”というのはおかしいと思われるかも知れませんが、瑞々しい鮮度感のある、このお酒にはきわめて的確な表現だと思っています。
日本酒は、搾った瞬間から色も香味も微妙に変化してゆきます。ひとつ例を挙げれば、搾りたての生原酒にはリンゴ酸やコハク酸などの有機酸が比較的多く含まれていて、すっきりした爽快さがあります。その酸味は時間の経過とともに馴染(なじ)んで落ち着き、今度は逆に甘みや旨み成分がグンと増えてきます。「生酒は冷蔵で」といわれるのは、冷蔵することで変化のスピードを遅らせ、もとの酒質を維持するためです。
ただし、必ずしも変化が悪いわけではありません。お酒が最も美味しくなる、その飲みごろをとらえて、お客さまにお勧めするのが、私たちの役目だと自負しています。
『旦 純米吟醸無濾過生原酒』は、原料米にはお酒づくりに適した「山田錦(やまだにしき)」を使っています。「吟醸」と名付けるには、原料米の40%以上を削り落とす必要がありますが、これは45%を削り落として醸したお酒です。同じ「旦」のラインナップのなかには、岡山産の「雄町(おまち)」という酒米で醸した『旦 純米大吟醸 雄町』もあります。昨年夏、全国の蔵元が出品して酒の出来映えを競った「第7回雄町サミット」において優等賞受賞酒に輝いています。ちなみに原料米の半分50%以上を削って醸すお酒が「大吟醸」です。
なぜ米を削るのでしょうか。お酒の発酵に必要なのは米の中心部「芯白(しんぱく)」に多く含まれるデンプン質です。外側のたんぱく質や脂肪分は、お酒にしたとき雑味などのもとにもなりますので、これを取り除くわけです。ことに山田錦は芯白が大きいことから、より上質な吟醸・大吟醸づくりに好んで使われているのです。
余談になりますが、吟醸酒は昔は市販されるものではありませんでした。各蔵で美味しい酒づくりに勤しむ杜氏たちが技術を競い合う、いわば内輪の腕自慢のお酒だったのです。
甘みのボリュームがある『旦 純米吟醸無濾過生原酒』に合う料理として『雪花菜』の店主・間瀬さんが用意してくれた「竹の子の焼き物」とリンゴのすりおろしを和えた「菜の花」。
■ボリュームある甘みに何をどう合わせるか
さて、繊細な吟醸酒でありながら、生原酒ならではの味のボリューム感もある純米吟醸無濾過生原酒の『旦』は、どんな酒肴と相性がいいでしょうか。料理については、大阪・北区にある割烹料理店『堂島雪花菜(どうじまきらず』の御主人・間瀬達郎さんにお願いしました。
間瀬さんいわく「この酒が持つ甘みのボリュームのわりには、それほど酸みが強くないので、その点で手こずった」のだそうですが、出てきたのは「竹の子の焼き物」。ホタルイカを醤油漬けにして一味を加えて3~4㎜角の粗みじん切りにしてから、卵黄を塗ったたけのこの上に乗せて焼き上げたひと品です。付け合わせは、酢・塩・醤油で味を調えたリンゴのすりおろしを和えた菜の花です。
料理を味わってみると、たけのこは歯応え抜群、ホタルイカの腸(わた)の風味がわりと前面に出てきますが、『旦』を口に含むと、見事に馴染みました。旨い!のひとことです。木の芽のスパイシーさと一味のピリ辛感が、甘みのある『旦』に対して良いアクセントにもなっています。料理自体のボリューム感とお酒のボリューム感を合わせるのは大事なことなのです。
付け合わせの菜の花ですが、こちらも単体で食べるよりも、お酒が入ることではるかに美味しさが引き立ち、まとまりました。『旦』のジューシーな味わいと、菜の花の青さ、すりおろしたリンゴが見事なハーモニーを奏でています。『旦』の甘みに同系統の酸を補うことで、互いが溶け合った結果の美味が堪能できます。
お酒と合せるポイントさえつかめば、家庭で気の利いた酒肴を用意するのも、それほど難しいものではありません。『旦』の場合でいえば、ボリュームある甘みに何をどう合わせるか、ということですが、甘さと「スパイシー&ピリ辛」は相性が良いので、エスニック系でも充分に楽しめます。甘みとのバランスをとるために、何かしら酸味を加えるのも有効です。
もっと驚きの組み合わせや味付けもあると思います。口の中で「1(料理)+1(お酒)」が「2」ではなく、「3」にも「4」にもなる愉しさを見つけていただければと思います。
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行っている。
■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/
■間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。
■堂島雪花菜
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分
※ 藤本一路さんが各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本をご紹介する連載「今宵の一献」過去記事はこちらをご覧ください。