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日本全国には大小1500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)すお酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざです。

そこで、「美味しいお酒のある生活」を提唱し、感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。

【今宵の一献】金の井酒造『綿屋 特別純米・幸之助院殿』

綿屋 特別純米・幸之助院殿1800ml 3924円(税込)

綿屋 特別純米・幸之助院殿1800ml 3924円(税込)

お酒にまつわる古今の名言・格言・諺(ことわざ)の類には様々なものがあります。「酒は天の美禄」、「酒に十の徳あり」、「酒は憂いをはらう玉箒(たまははき)」、「酒は詩を釣る針」、「酒のなかに真理あり」、「酒なくて何の己が桜かな」、「酒は飲むべし、飲まるるべからず」等々。

いずれも酒飲みにとって、まこと都合の良い言い分が見え隠れはしていますが、なかでもとりわけ嬉しい“酒飲みの大義名分”といえば「酒は百薬の長」、このひと言に違いありません。

どんな薬にも勝るといわれる日本酒ですが――今宵の一献は『綿屋 特別純米・幸之助院殿』なるお酒をご紹介します。現4代目当主が“薬剤師”の資格を持つという酒蔵が醸す渾身の一本です。

蔵の事務所入り口、左側は薬局の名残。

蔵の事務所入り口、左側は薬局の名残。

岩手と秋田に県境を接する宮城県栗原市は、平成17年(2005)に郡の全町村合併によって生まれたまだ新しい市です。その北西端には標高1627mの栗駒山を含む栗駒国定公園の大自然が広がっています。

今回の主役「金の井酒造」は、そんな栗原市の一迫町にある老舗の酒蔵です。創業は大正4年(1915)ですが、造り酒屋を始めるまでは「綿屋」の屋号で、味噌の醸造のほか、製材業や養蚕業も行っていたそうです。

社名に冠された“金の井”の名は、蔵がある一帯が旧くは金田村と呼ばれていて、かつ良質な水と米に恵まれていたことに由来します。

4代目当主の三浦斡典さん。

4代目当主の三浦斡典さん。

昭和63年(1988)に4代目当主の三浦斡典(みうら・もとのり)さんが蔵入りしたのを機に、時代に合った新たな酒づくりへの模索が始まりました。目指したのは食事と一緒に愉しむ食中酒ならぬ「食仲酒」です。

食事と仲良しという意味合いを込めて、三浦さんはあえて「食仲酒」と呼んでいます。幾度も試験醸造を繰り返して、ついに納得のゆく食仲酒が誕生を見たのは平成8年のことでした。その銘柄に、昔の屋号でもあった『綿屋』の名を冠して世に送り出したのです。

仕込み水には、蔵から約4㎞ほど離れたところにある小僧不動水神社の奥に涌き出ている小僧山水(こぞうさんすい)が使われています。

私も口に含んでみましたが、透明感が高く、クセのないやわらかな水です。小僧不動水神社には落差7mの小僧不動の滝があって、その水音と辺りに漂う凛とした厳かな空気感に身が引き締まる思いがします。

小僧不動の滝。

小僧不動の滝。

4代目蔵元の三浦さんは薬科大学を出て薬剤師をしていた方です。それが家業を継ぐことになって、蔵へ戻りますが、当初は薬局も併せて営んでいたといいます。ところが、どうにも蔵元の仕事が忙し過ぎて、薬局まで手が回らず、現在は閉店の止む無きになっているそうです。

蒸した米を適温まで冷ます放冷作業。

蒸した米を適温まで冷ます放冷作業。

金の井酒造は、酒づくりに使う米にはとりわけ神経を配っています。今は酒米はすべて契約栽培です。安定して酒をつくるには、全量を契約栽培することは、非常にリスクも高くなるのですが、三浦さんは“目指す酒質”のために、各農家と細かく意思の疎通を図りながら「チーム綿屋」として良質な酒米の確保に取り組んでいらっしゃいます。

今宵の一献『綿屋 特別純米・幸之助院殿』には面白い米が使われています。漢方和牛の糞からつくる堆肥のみで育てた有機栽培米ヒトメボレです。

これにはいささか解説が必要ですが――漢方和牛は、栗原市の関村牧場がつくりだしたブランド牛で、漢方薬を含んだ14種類ものハーブをブレンドした独自の飼料で育てた牛のことです。今では東北で10数件の牧場が飼育に取り組んでいるそうです。

その牛糞の堆肥が育てる有機栽培米ヒトメボレで醸すお酒が『綿屋 特別純米・幸之助院殿』というわけです。

泡状になった酒母に櫂入れしてます。

泡状になった酒母に櫂入れしてます。

櫂入れする蔵人達。

櫂入れする蔵人達。

そもそもヒトメボレは酒米ではなく飯米、つまりは食用米として栽培されているお米です。本来、酒米と飯米では、形状も成分も少し違っています。ですから、食べて美味しいお米が、必ずしも美味しいお酒になるとは限りません。ところが、金の井酒造は食べて美味しい有機栽培のヒトメボレから、見事なまでに素晴らしい美酒を生み出しています。

この美酒に冠された「幸之助院殿」とは、また風変わりな名だと思いませんか。「院殿」は武家社会において将軍や大名の戒名に用いられる尊号で、現代でも社会的に地位の高い人の戒名に使われます。じつは、漢方和牛を育てた関村牧場の創設者で、いまは故人になった関村幸之助さんに敬意を表して戒名の最高位を附し、お酒の名にしたのだそうです。

『綿屋 特別純米・幸之助院殿』は、ほのかに柑橘系の爽やかな香味があって、舌にやわらかくスルっと滑り込みます。ふわりと米の旨みが口中に広がったかと思うと、サラリと消えてゆく、いたって上品な味わいのお酒です。『綿屋』銘柄のなかでは、この「幸之助院殿」は味に幅があるタイプといえるのですが、綺麗なのに味は濃い、味は濃いのにスッキリもしているという、不思議なお酒です。

分析機器、徹底した分析をして常にモロミの状態を把握します。

分析機器、徹底した分析をして常にモロミの状態を把握します。

金の井酒造では漢方米ではないヒトメボレから醸した特別純米も造っています。仕込み方は同じですが、飲み比べてみると、明らかに味わいが違います。後者の特別純米のほうが、もっとスッキリしているイメージでしょうか。好みは別として、米の違いが酒に表れるという証し、ですね。

以前、蔵を訪れた際、関村牧場直営の「漢方和牛料理 幸之助」という店に案内されたことがありました。漢方和牛のステーキを食べながら『綿屋 特別純米・幸之助院殿』を飲んだわけです。

通常は、肉に合わせようと思えば、濃厚で肉に負けないボリュームと酸を備えたお酒を選びます。その基準からいえば、はるかに「幸之助院殿」は上品なのですが、決して肉に負けることなく主張もし調和したのには驚きました。こういうケースもあるのですね。

概して、白身魚に合うイメージの『綿屋』シリーズのなかでは、赤身や青魚によく合うのも「幸之助院殿」の特徴といえます。
『綿屋』シリーズが目指すのは、完璧なまでの“食仲酒”です。

漢方和牛のステーキ。

漢方和牛のステーキ。

今回、大阪『堂島 雪花菜(きらず)』の間瀬達郎さんが「幸之助院殿」に合わせて考えてくれた料理は「牛タンの炊き合わせ」でした。

綿屋→宮城県→仙台→牛タン、という流れも多少は意識されたのでしょうか。人参、セロリ、生姜、牛タンを昆布と鰹出汁で炊いたもの、冬瓜(とうがん)は干しエビで、小芋はイリコと昆布と、それぞれ醤油味ではなく、塩ベースのイメージで炊いたものを合わせたそうです。最後に、おぼろ昆布をのせています。

ひと口いただくと、牛タンは驚くほど柔らかく炊かれていて、口中でほろほろと崩れ溶けました。牛タンという肉料理でも、あっさり優しい和の味付けのせいでしょうか、食仲酒「幸之助院殿」と見事なまでに調和。何の違和感もなく、ほっと心が和む組み合わせです。

牛タンの炊き合わせ。

牛タンの炊き合わせ。

じつをいえば、間瀬さんに試飲してもらった「幸之助院殿」はちょうど1年ほど熟成させた平成26年度醸造のものでした。そのせいもあって、より旨みがしっかりのった状態です。

今現在、市場に出回っているのは27年度醸造のものですので、よりフレッシュ感のある爽やかさを堪能していただけます。

料理人の間瀬さんとしては、ほどよく熟成した「幸之助院殿」の旨みのなかに、昆布のような風味を感じたようですが――『綿屋 幸之助院殿』は熟成させると、関西の出汁(だし)のように優しく滋味深い、こなれた味わいになります。そこはかとない柑橘系の風味に、牛タンの出汁に含まれる僅かなセロリのスパイシーさが見事に合いました。

単に食事に寄り添うだけではない、なるほど「食仲酒」とはまこと言い得て妙と、得心がゆきました。

「幸之助院殿」の昆布だし的なニュアンスを、実際に昆布で同調させて、ほっこりする仕上がりになってもいます。あるいは、この26年度熟成ものは燗酒にしてみたら、さらに秀逸な食仲酒になったのではと思います。

同じお酒でも1年熟成させたものと、現行のものでは合う料理や飲むベストな温度帯も変わります。もちろん、熟成させる場所や温度によっても、その熟度は違ってきますが、余裕があったら、お気に入りのお酒を新聞紙に巻いて、家の冷蔵庫の奥にしまい込んでみるのも面白いですよ。

利き酒、蔵へ訪問しその年の酒の仕上がりを利き酒します。

利き酒、蔵へ訪問しその年の酒の仕上がりを利き酒します。

さて、最初の“酒飲みの大義名分”に戻れば、洋の東西を問わず聖職者や僧籍にある者は、存外に酒好きだったことはよく知られています。

酒を指す「般若湯(はんにゃとう)」なる隠語が禅寺で生まれたのも「葷酒(くんしゅ)、山門に入るを許さず」という禁を破ることなく、酒に酔いたい破戒僧たちの知恵のなせる業だったのでしょう。

平安の昔の兼好法師は『徒然草』に「下戸ならぬこそ、をのこはよけれ」と書き、“酒も飲めない男は底のない盃みたいなものだ”と喝破しています。

室町期、希代の風狂に生きた一休禅師は「我に一分の酒気あれば、十分の禅機あり」といい、まずは一杯の酒を所望。飲みほした後、こう言い放ったそうですよ。「極楽は酒屋の門にあり」。

それにしても、人はなぜ酒を飲むのでしょうか。ある西欧の偉人は、こういっています。「どんな理由からでも」。

トリミング/藤本さんIMG_0403
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。

■白菊屋
住所/大阪府高槻市柳川町2-3-2
TEL/072-696-0739
営業時間/9時~20時
定休日/水曜
http://shiragikuya.com/

トリミング/間瀬さん雪花菜7
間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。

■堂島雪花菜(どうじまきらず)
住所/大阪市北区堂島3-2-8
TEL/06-6450-0203
営業時間/11時30分~14時、17時30分~22時
定休日/日曜
アクセス/地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分

構成/佐藤俊一

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