文/藤本一路(酒販店『白菊屋』店長)
京都の三条大橋と江戸の日本橋を往還する山間の中山道(なかせんどう)は、木曽街道とも呼ばれていました。東海道に比べると険しい山道や峠越えの難所が多い旧街道です。
銀雪を頂いた山々の峰が白く光り、はるか目の下には深い渓谷を刻む木曽川の流れが岩肌を噛んで続きます。その流れに沿って行くと、やがて木曽十一宿のひとつ、中山道六十九次の宿駅として栄えた藪原宿へと至ります。
鳥居峠や野麦峠の難所を越えてきた旅人がほっと息をつく宿駅です。
江戸の昔の藪原宿は「お六櫛」で全国に名を知られた櫛の産地。豊富に産する木材を原料として、江戸は元禄年間から350年余にわたり、女の命である黒髪をくしけずる木櫛を世に供給し続けてきた里です。
10センチ幅に120本もの密度で歯を挽いた梳櫛「お六櫛」は、木曽木櫛の代名詞として天下に名を知られたものでした。
《木曽山は熊よりお六名が高し》
江戸の川柳にそう詠まれていることからも、いかに人気が高かったかがわかります。実際、江戸の町で用いられた櫛の8割までが、お六櫛であったと云われていますが、さて――。
度重なる火災もあって、現在の藪原界隈には、荷駄や旅人が頻繁に行き交い賑わった頃の面影はありません。今は静かな山里の顔にもどっています。
冷たい冬の風に、みぞれ混じる木曽路――白い小片は、ここ藪原の空にも舞い、素朴な町並みに吸い込まれては消えてゆきます。
今宵の一献は、そんな木曽路の要衝として栄えた歴史を持つ藪原宿の一角に創業367年目を迎える蔵元「湯川酒造店(ゆかわしゅぞうてん)」の『十六代九郎右衛門 山廃純米・金紋錦』をご紹介します。
湯川酒造店の創業は慶安3年(1650年)。酒蔵の16代目当主は湯川家の長女の尚子さんです。そして、ご主人の慎一さんが杜氏を務めています。
尚子さんは東京農業大学の醸造学科を卒業。いったんは一般の会社へ就職しますが、生家の家業を引き継ぐ意を固めて、故郷に戻ったのは2005年のことでした。15代目蔵元の父の片腕として、自ら杜氏となるべく酒造りの現場に加わり、修行を続けたのです。ところが、その父の寛史さんが2011年に急逝します。急遽、尚子さんは16代目として歴史ある蔵を背負って立つことを余儀なくされたのです。
予想以上に早すぎる世代交代劇に戸惑い、重圧に押しつぶされそうな尚子さんを傍で支えたのが、長年の知己でもあり、2011年に湯川家の入り婿に入った慎一さんだったといいます。
夫婦は役割を分担。酒造りに関しては夫の慎一さんに託し、妻の尚子さんは蔵元として全体のマネジメントに専念します。
慎一さんは、もともとは同じ長野県内の別の酒蔵に勤めていた人です。それも、酒造りの現場に携わる蔵人ではなく、ばりばりの営業マンだったのですが、日本酒への熱い想いから、蔵主に向けて事あるごとに酒造りに関する自身の様々な進言を続けてきました。
「そんなに言うなら、君が酒を造ったらいいじゃないか」
蔵主のそんな一言から、酒造りを担う蔵人へと転身、ついには杜氏にまでなってしまったという、面白い経歴の持ち主です。
私が慎一さんと出会ったのは2009年頃だったでしょうか。取引関係はなかったのですが、慎一さんの酒造りのセンスのよさと、ストイックな姿勢に共感するところがあって、交流は始まりました。
それから2年ほど経った頃、突然、こんな報告を受けたのです。
「湯川酒造店の娘さんと結婚することになったので婿入りします」
私どもの酒販店が取引をお願いする運びになったのは、慎一さんが湯川酒造店の杜氏に就任して2年目のことでした。
さて、湯川酒造店は標高936mという、日本酒蔵ではきわめて高い位置に建っています。厳密にいえば、その標高の高さは1位の同じ長野県の真澄・富士見蔵とはわずか20mの差で2位です。
夏場に涼しいのは良いのですが、冬場の仕込みの時期にはマイナス17度まで気温が下がる日もあります。その寒気のなかでの作業も辛いのですが、何より困るのは寒すぎて醪(もろみ)の温度が下がり過ぎることです。
蒸した酒米に麹菌を植え付ける「麹室」と並んで、米の糖分をアルコールに変える役目を担う酵母を培養する「酒母室」は、通常どこの蔵でも冷房を効かせる空調設備が欠かせない、というのが常識です。
ところが、日本で2位の標高の高さにある湯川酒造店では、逆に“暖房機能”のある空調設備がほどこされているほどです。
仕込みタンクのある部屋は昔からの土蔵です。それ以外の建物は、平成17年に鉄筋で新たに増築したものですが――8年後の平成25年2月末のこと、火事に見舞われるという災難が降りかかります。
幸いなことに人的被害や近隣への類焼はなかったのですが、焼け跡の煙の臭いや煤の影響で、育成中だった酒母も麹も廃棄せざるを得なかったのが、なにより辛かったそうです。
幾多の危機を乗り越えながら、新たなチャレンジを続けてきた湯川酒造店。今、尚子さんの愉しみは仕事を終えた後、慎一さんと食卓を囲み、酒談議に花を咲かせながら、一緒に日本酒を味わうことだそうです。
今宵の一献『十六代九郎右衛門 山廃純米・金紋錦』。このお酒に使われている酒米「金紋錦」は、現在、長野県の木島平村(きじまだいらむら)でしか栽培されていない希少品種です。「山田錦」と「たかね錦」を掛け合わせて、長野県の酒米として昭和31年頃に誕生した酒造好適米です。
しかし、金紋錦は根が弱く栽培が難しい上に、各酒蔵も上手く使いこなせなかったこともあってか、栽培の容易な「美山錦」などに取って代わられてゆきます。その作付けは減る一方となり、やがて木島平村だけを残して、いつしか姿を消してしまいます。
唯一、木島平村が消えゆく運命にあった金紋錦を守り得たのは、石川県の酒造会社が全量契約栽培を結んでくれたことによります。おかげで、細々ながらも、その命脈は途絶えることがなかったのです。
今では長野県内の幾つかの酒蔵が、金紋錦の良さを再認識して素晴らしい美酒を生み出しています。
『十六代九郎右衛門 山廃純米・金紋錦』の味わいは、上質な米の甘みと、それを支える酸とのバランスが良く、山廃仕込みならではの厚みがありながらジューシーな飲み口です。山廃仕込みのお酒は、なんとなく苦手という方にもお勧めします。冷やしても温めても美味しく飲んでいただけると思います。
昨年の春過ぎに出た「生タイプ」も非常に美味しかったのですが、つい先日出荷が開始された、この「火入れタイプ」にはどこかホッとする落ち着きがあって、柔らかい甘みと優しい酸に癒される素敵な飲み心地です。
今宵の一献『九郎右衛門 山廃純米・金紋錦』に、いつもの堂島『雪花菜(きらず)』の間瀬達郎さんが考えてくれた料理はどういったものでしょうか。目の前に出てきたのは、なんと「熊鍋」です!
お酒を飲んだ瞬間に「肉を合わせたい」、そう思った間瀬さんが手配したのは、兵庫県は丹波篠山産のツキノワグマのロース肉です。
長野県の信州味噌と白味噌を合わせて出汁で伸ばし、牛蒡(ごぼう)のささがき、蕪、京人参に天然クレソン。熊は年中獲れますが、この時期の熊肉は脂がのって臭味もなく、一番美味しいのだそうです。
まずひと口いただてみます。脂から出た出汁と、少量でも主張のある肉の旨みを、『九郎右衛門』が持つ優しくも凝縮した甘みと酸がしっかり受けとめてくれます。野菜の甘みも味噌自体の甘みも、すべて『九郎右衛門』の風味とぴったり。味は濃いのですが、不思議にあっさりした印象の美味しさがあって、これは、ちょっと感動ものでした。いや、まさに冬の滋味そのもです。
年々、進化をし続ける『十六代九郎右衛門』が目指すのは、濃醇な旨みを携えながらもピュアできわめて抜けの良いお酒です。その一環として、ここ数年力を入れているのが「山廃仕込み」。今回ご紹介した『十六代九郎右衛門 金紋錦』も山廃で仕込んだお酒です。
そして、今期は同じ金紋錦を使って、初の生酛仕込みにチャレンジするそうです。さてさて、どんな仕上がりになるのか、今からとても楽しみにしています。
文/藤本一路(ふじもと・いちろ)
酒販店『白菊屋』(大阪高槻市)取締役店長。日本酒・本格焼酎を軸にワインからベルギービールまでを厳選吟味。飲食店にはお酒のメニューのみならず、食材・器・インテリアまでの相談に応じて情報提供を行なっている。
【白菊屋】
■住所:大阪府高槻市柳川町2-3-2
■電話:072-696-0739
■営業時間:9時~20時
■定休日:水曜
■お店のサイト: http://shiragikuya.com/
料理/間瀬達郎(ませ・たつろう)
大阪『堂島雪花菜』店主。高級料亭や東京・銀座の寿司店での修業を経て独立。開店10周年を迎えた『堂島雪花菜』は、自慢の料理と吟味したお酒が愉しめる店として評判が高い。
【堂島雪花菜(どうじまきらず)】
■住所:大阪市北区堂島3-2-8
■電話:06-6450-0203
■営業時間:11時30分~14時、17時30分~22時
■定休日:日曜
■アクセス:地下鉄四ツ橋線西梅田駅から徒歩約7分
構成/佐藤俊一
※ 藤本一路さんが各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本をご紹介する連載「今宵の一献」過去記事はこちらをご覧ください。