日比谷公園にある『日比谷松本楼』は、明治36年(1903)の開業。東京を代表する老舗洋食店の歴史は日比谷公園とともに歩んできました。
3代目社長の小坂哲瑯さんは“日比谷公園生まれ”。かつては店舗内に住んでおり、日比谷公園で遊び、日比谷公園から学校に通ったといいます。昭和46年11月19日夜、小坂さんにとっても、日比谷松本楼にとっても忘れられない事件が起こります。
沖縄返還協定強行採決に端を発して国会が空転、強行採決に抗議するデモなどが起き、これに連動して過激派集団がゲリラ行動を起こします。集会場のひとつとなった日比谷公園では、不許可のデモを強行しようとしたグループと機動隊が衝突。学生暴徒が日比谷松本楼の窓ガラスを割って乱入し、ガソリンを蒔き、放火したのです。
建物のステンドグラスの窓は落ち、ブロンズの裸婦のレリーフも焼けただれ、見るも無残な廃墟となってしまいました。日比谷松本楼だけでなく、日比谷花壇や交番、一般車両などもすべて襲われ、新聞各紙もこの惨状を詳細に報じたので、記憶にある方もいらっしゃることでしょう。
放火焼失から2年後の昭和48年9月26日、日比谷松本楼は復活。出窓のあるマンサード屋根は焼失前と同じようにヨーロッパの雰囲気を漂わせています。オープン当日は新聞やテレビなどで一斉に報道され、毎日新聞の見出しでは「館は燃えても、歴史は燃えず 10円カレーで復活祝う」の文字が踊りました。10円カレーとは、新装再オープンへの感謝ということで現在も行なわれている10円カレーチャリティ-セールのことで、売上金は当初は交通遺児育英会に寄附され、現在はユニセフに寄附されています。焼失後、全国から温かい励ましの声が相次ぎ、ほんとうにお客様からの支援がありがたかったと小坂さんは振り返ります。
その「ハイカラビーフカレー」の味は、どこか懐かしい欧州風。時代が変わってもカレーの味は変わらないようです。
もうひとつ変わらず存在するのが、日比谷松本楼の前に立つ大銀杏です。樹齢約500年といわれるこの銀杏は、日比谷公園開園時に、公園設計者である本多静六が、明治34年に現在の日比谷交差点にあったこの大木を移植したものです。自分の首を賭けても移植を成功させるといったことから、「首かけ銀杏」の名があります。焼き打ち事件の際には火を浴びるなどの被害を受けましたが、その都度保存策が講じられ、いまも天高く茂っています。
緑あふれる都会のオアシス・日比谷公園。日比谷松本楼のテラス席に座れば、ここが東京の中心部であることを忘れるほど、長閑で平和な時間が流れています。
参考文献:「日比谷公園と共に 日比谷松本楼の100年」
取材・文/関屋淳子
桜と酒をこよなく愛する虎党。著書に『和歌・歌枕で巡る日本の景勝地』(ピエ・ブックス)、『ニッポンの産業遺産』(エイ出版)ほか。旅情報発信サイト「旅恋どっとこむ」(http://www.tabikoi.com)代表。