【料理をめぐる言葉の御馳走~第7回】斉須政雄①
「フランスでは懸命に働きました。フランス人のように、素材を見て料理が作れるようになりました。でも、フランス人に追いついたと思っても、足元に届いただけなんですよね。悲しいかな、それ以上にはいけないんです」
斉須政雄は、1973年9月、フランス料理を本場フランスで身につけようと日本を飛び立った。
パリ郊外の店からスタートし、日本人であることのハンデを背負いながら、フランス料理の鉱脈を見つけるべく、あちこちの名レストランで研鑽を重ねた。その愚直なほどのまじめさでフランス料理と格闘していったいきさつは、かれの著作「十皿の料理」(朝日出版社刊)と「メニューは僕の誇りです」(新潮社刊)に詳しい。
私は、1983年春、「ランブロワジー」が「ミシュラン」の2つ星に輝いたばかりのときに訪れ、そこで彼に会った。
マダムのダニエルが「日本人の料理人がいるから」ということで挨拶に出てきて、そして料理のオーダーを取っていった。「赤ピーマンのムース」「牛尾の赤ワイン煮」「コーヒーのムース」がその日の彼のお勧めだった。
私は、料理ばかりか、ここで働くすべての人が魅力的に見え、フランスへ出かけると、必ず2度は食事に出かけた。そうして、斉須さんと彼の休日にも会うようになり、しまいには彼のアパルトマンに招かれ、ご馳走にまでなった。そのとき、彼がふと漏らしたのが、冒頭の言葉である。
「今日は、山本さんにぜひ食べてもらいたい料理を作りました。お客のリクエストで、即興で考えた料理です。横にいたベルナールがオーケーをくれ、自分が考えた料理が初めて客席に運ばれていったんです。凄く嬉しかったです」
その料理は、忘れもしない「根セロリとリ・ド・ヴォーの煮込み」。