【料理をめぐる言葉の御馳走~第4回】永田基男①
「薄味の加減は、四十歳までに覚えないと、一生身につきません」
私が京都の割烹料理店「千花」の料理、いや、主人永田基男に心魅かれたきっかけは、海老のしんじょ椀をいただいたときだった。
一塩したぐじのお造りのあと、そのお椀は出てきた。蓋を取ると熱い湯気が立ち上り、その吸い地をひと口いただくと、あまりの熱さのせいか、ただ熱い湯を飲む感じで出汁の味がまるで分らなかった。
それでも、途中、酒などに手を出さず、椀だねを丁寧にいただき、出汁が三分の一になり、温度も下がってくると薄味の中にうまみが感じられた。そして、すべていただいたあと、品の良い昆布の香りが鼻に抜けた。ここにいたって、ようやくお椀の真実に出会えたように思えたのだが、しかし、はじめの熱さだけは理解できなかった。
そこで、大将にお訊ねした。
「フランス料理のシャーベットでも、冷たすぎては香りが立たず、溶け出す寸前の温度がよいわけですが、その伝でいけば、いまいただいたお椀、熱過ぎやしませんでしょうか」
それに対する、大将の答え。
「その前に召し上がられたのが、一塩したぐじ、お口の中に残っただろう塩気を一気に消し去るためには、あの温度が必要だろうとおもい、それでお出ししました」
私はうーんと唸り「この主人はお椀の中にも三分間のドラマを作れる料理人である」というフレーズが浮かび、鳥肌が立ったのだった。そして、「この人に食らいついてゆこう」とも。
1985年、37歳の時である。
※2枚の写真は、永田基男の次男、裕通さんの店祇園「千ひろ」のかにしんじょ椀