この9月、最も驚いたのは「Chef’s Table at Brooklyn fare」のうに、金目鯛だった。「シェフズテーブル」はカウンター席わずか18席のニューヨークの下町にある小さなレストラン。シェフが目の前で料理を作り、仕上げる。アミューズ(突き出し)の2品目のとき、シェフの前に用意されたのは、東京でよく見かける、箱に詰められた「うに」で、聞けば築地から取り寄せたものだという。薄いパイ生地の上にそのうにをたっぷり盛り、さらにそのうにの上に黒トリュフのスライスを並べてサービスされた。このうにがとろけるように香り、オーストラリア産の旬の黒トリュフとことのほか見事な相性を見せてくれたのだった。
魚料理では「金目鯛」が調理され、「Kinmedai」と呼んで目の前に皿が運ばれた。
これまた、築地から直送されたもので、アメリカにはない魚なので「Kinmedai」とそのまま呼ぶことにしたのだという。築地とニューヨークがいまや至近距離にあることを実感する、目の醒めるような食事だった。
それではと、最新の日本料理のレストランにも出かけてみた。「Brushstroke」は「Kaiseki」が売り物のレストラン。ニューヨークのデヴィッド・ブーレーと大阪の辻調理師専門学校のコラボによる「Kaiseki」だから、本格派である。ただし、日本の「懐石料理」をそのまま忠実に再現せず、ニューヨーク流にアレンジしてある。
例えば「お椀」のお出汁。京都の薄味ではなく、まぐろ節を使って、ニューヨーカーたちにも、すぐに美味しさが伝わる味付けにしてある。京都では「品格」に欠けると言われてしまうだろうが、アメリカで日本料理の美味しさを伝えるにはとても効果的な調味ではないかと理解できた。
刺身のわさびにしてもそう。辻調理師専門学校出身の料理人が調理場に入って「お造り」をつくっているにもかかわらず、下ろしたわさびを使わず、納得づくで合成わさびを刺身に添えている。ホースラッディッシュに慣れたアメリカ人は本物のわさびは辛さが足らず、調味料としてはまるで物足らないのである。それなら、本物のわさびにこだわらず、アメリカ人の味覚とアメリカの食文化を受け入れて、妥協点を見つけた結果なのだということがよくわかった。「ブラッシュストローク」とは「なぐり描き」の意味。丁寧ではないかもしれないが、力感と勢いで「和食」の魅力を伝えるということであれば、名付けた妙があるというもの。
いま世界中で「UMAMI」が話題になっている。「甘い」「辛い」「塩辛い」「苦い」とは別物の「UMAMI」。ニューヨークのシェフたちは本物の食材を駆使しながら、日本料理の本領に迫ろうとし、日本料理店では本質を忘れずにアレンジを試みることで、「和食」の魅力を発揮している。
魚料理で言えば「ル・ベルナルダン」を忘れてはならない。ニューヨークにあって魚料理専門店で「ミシュラン」の3つ星に輝いている。この店に初めて出かけたのは、かれこれ10年ほど前だが、魚介の質は見違えるほど向上していて、したがって皿の上の盛り付けの洗練さはパリと変わらない。ひと頃のアメリカの料理をひと言で評すれば「デリカシーに欠ける」で済んでしまったが、「ル・ベルナルダン」の食材の質の高さ、調理の的確さ、盛り付けの繊細さを知ると、「デリカシーに欠ける」がまるで嘘のようである。
このほか、「イレヴン・マジソン・パーク」「パーセ」など、ニューヨークには世界の最先端をゆくレストランが勢ぞろいしている。音楽、美術などの芸術文化も成熟していて、今や遅しと料理の成熟を待っている状態といってよい。
おそらく、いまから5年先にはニューヨークが世界の料理界の最前線に躍り出るのではなかろうか、そんな予感がしてならない。