大隈重信も激賞した『鶴屋』の「丸房露」【老舗銘菓ものがたり】

文/鈴木拓也

多くの人が、子供の頃に食べた記憶をもつ「玉子ぼうろ(玉子ボーロ)」。「ぼうろ」と聞いて、まっさきに思い浮かべるのが、この小さくて丸い焼き菓子かもしれない。

「ぼうろ」というのは、もとはポルトガル語の「bolo」からきており、本来の意味は「菓子」を意味する総称的な単語である。それが南蛮船を通じて日本に伝来すると、小麦粉、砂糖、卵などを使った簡素な焼き菓子を指すものに変わった。

江戸時代に入ると、ぼうろは全盛期を迎える。特に、ぼうろの小さな一玉を取り囲むように6個のぼうろがつながった「花ぼうろ」が親しまれたが、次第に廃れてゆく。現在に残るぼうろは、先に挙げた駄菓子の玉子ぼうろ、そば粉を用いた京都のそばぼうろ、そして佐賀県の郷土菓子の丸ぼうろである。

この丸ぼうろこと『丸房露』を生み出し今に伝えるのが、今回紹介する鶴屋である。

*  *  *

鶴屋の創業は1639年。佐賀藩の藩主鍋島勝茂のもと、御用菓子司として重用された。ただし創業当初から『丸房露』を手掛けていたわけではない。佐賀藩は、もともと外国とのつながりは深くはなかったが、幕府より長崎警備を命じられていた関係で、出島のオランダ商館との結びつきが生まれた。そのコネクションを生かして、鶴屋二代目の太兵衛が、この南蛮菓子の製法を出島のオランダ人から教わり、『丸房露』が誕生する。

鶴屋の『丸房露』は、小麦粉、卵、甘味料、ハチミツ、重曹のみのシンプルな素材を用いながら、絶妙にほどよい硬さと甘みがお菓子好きの心をとらえ、300年以上のロングセラーとなっている。もっとも、最初から今のような完成形であったわけでなく、代々にわたり工夫と改良を重ねての賜物だという。

『丸房露』にまつわるエピソードとして印象的なものに、佐賀出身で内閣総理大臣を2度務めた大隈重信候が、鶴屋に立ち寄った話がある。

茶菓として出された『丸房露』を食べた大隈侯は、「ほかに比類少なき風味」と感嘆し、東京に戻ってからもその味をなつかしんだという。結局、あまりの食べたさに東京の自邸に第11代当主の善吉と職人を呼び寄せ、邸内に竈を築いて『丸房露』を作らせたという、嘘のような本当の話が伝わっている。

ほどよい硬さと甘みが絶妙な、鶴屋の『丸房露』

さて、鶴屋には、18世紀半ばにその時の当主が編纂した『菓子仕方控覚』という、いわば菓子のレシピ集が残っている。その中には、「けし跡(けしあど)」という菓子の名が見える。これは、ポルトガルの「ケイジャータ」というチーズ菓子のことで、入手困難だったチーズの代わりにカボチャのあんを使用し、鍋島公に献上したことが記されている。

第14代現当主の堤光昌社長は、『菓子仕方控覚』に記された製法に従いつつ、今では容易に入手できるチーズやシナモンを加えて「けし跡」の復刻を試みた。試行錯誤を重ね、現代風にアレンジも加えて完成したのが『肥前ケシアド』だ。


カボチャあんとチーズという意外な組み合わせで成功した『肥前ケシアド』

『肥前ケシアド』は、江戸時代にはあくまでチーズの代用であった、カボチャあんを取り去るのではなく、チーズとミックスさせることで、新たな風味を生み出した。ある意味、260年前と現代の鶴屋菓子職人の、時空を超えたコラボレーションによってできた、古くて新しい菓子といえるもので、多くの人を虜にしている。

『鶴屋菓子舗』佐賀本店

 

今日の老舗 『鶴屋』
住所(佐賀本店) 佐賀県佐賀市西魚町1番地
電話 0952-22-2314
公式サイト http://www.marubouro.co.jp/

文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。

取材協力/鶴屋菓子舗

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