文/鈴木拓也
記紀ゆかりの地、出雲の暴れ川として知られる斐伊川(ひいかわ)。その流域の集落、出西(しゅつさい)は、生姜の名産地である。古くからこの地で採れる生姜は、別格の風味があり、かつては藩主が諸侯への贈答に用いた名物であった。
この「出西生姜」の素晴らしさに目をつけ、茶菓子の素材にできはしないかと思案した人物がいた。名は來間屋文左衛門(くるまやぶんざえもん)という。
宍道湖に近い平田で生まれた文左衛門は、詩文に長じ、また書を能くしたことで松江藩奉行所に勤務し、晩年は郷里に戻り茶の道を志した。しかし地元では長く保存できる茶菓子がなく、文左衛門は自ら菓子を考案することを決意する。
あれこれと試した結果、砂糖と生姜という、当時としては異色の組み合わせに逢着した。練り合わせれば、甘味と辛味がうまく調和した高尚で長持ちする菓子になると、さらに試行錯誤を繰り返し、正徳5年(1715年)に完成する。今に伝わる銘菓『來間屋生姜糖』の誕生である。
『來間屋生姜糖』の材料は、砂糖、生姜、水のみ。砂糖水を炭火で煮詰めて、そこに生姜の搾り汁を入れる。その溶液を型に入れて固めると、白い板状の製品ができあがる。文左衛門は、開発の過程で出西生姜と出会い、これに勝るものはないとした。繊維質が少なく、搾り汁が取りやすく、香味も減退しないからで、ふつうの生姜ではこうはいかない。
文左衛門は、製法を秘して一子相伝とした。しばらくは作る量も少なくて、あまり知られていなかったが、文化年間の1804年頃になって、松江藩主や徳川将軍家に献上する機会がめぐり、大いに称賛を得た。これをきっかけとして『來間屋生姜糖』が、世人に認められる存在となった。
創業300年余りの変わらぬ製法と味を今に伝えるのは、第11代当主の來間久さん。早朝から作業を始め、日々300枚ほど作る。種類は、白、紅、緑の3種。緑の『抹茶糖』は、松江藩主で大名茶人として知られた松平不昧(治郷)の生誕100周年を記念して、江戸時代末期に開発されたという。各色とも長方形で、4×8列の刻み目がついている。
刻み目に沿ってカットしてから、かじってみると、砂糖の甘さ、生姜の辛さが絶妙に交じり合った味が口の中に広がる。甘いだけではないこの風流な菓子のファンは多く、「病床の父親が『最後に生姜糖が食べたい』と言うので、至急送ってほしいという注文があった」など、エピソードには事欠かない。
生姜には、「百邪を払う」、「神明に通ずる」など、昔から優れた薬効が知られていた。特に出西生姜は、「娘やるなら出西郷へ。しょうがの匂ひで風邪ひかぬ」とうたわれるほど。『來間屋生姜糖』を日々ひとかけずつ賞味すれば、風邪にひきやすい冬へのちょっとした備えにもなるだろう。
今日の老舗 | 『來間屋生姜糖本舗』 |
住所 | 島根県出雲市平田町774 |
電話 | 0853-62-2115 |
公式サイト | http://syougatou-honpo.jp |
文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。