取材・文/鈴木拓也
日本が戦乱のさなかにあった1543年、種子島に1隻の船が漂着し、日本人とヨーロッパ人が初めて邂逅した。それから10年もしないうちに、スペインからフランシスコ・ザビエルがキリスト教の布教で来日。上陸したのは鹿児島であったが、布教の拠点として注目したのは堺であった。
ゴアの神父に宛てたザビエルの手紙には、堺が裕福な商人の町であり「他のいかなる日本の地方もおよばないくらいに、そこへ金銀が流れこんでいる」と記している。琉球や中国(明)との貿易で繁栄の礎を築いていた堺は、ヨーロッパの人たちから見れば、まさに「ジパング」(黄金の国)であった。そして堺は、南蛮貿易によってさらに発展してゆく。
南蛮貿易で堺の港に水揚げされた品のなかには、菓子もあった。キリスト教の伝道師たちは、民衆に「かすていら、ぼうる、かるめひる、あるへい糖、こんぺい糖」(『太閤記』)といった菓子を配って布教したことで、南蛮菓子はまたたく間に広まってゆく。
南蛮貿易では、香木や薬草の類も堺に入ってきたが、その1つ「肉桂」(ニッキ)に目をつけた貿易商人がいた。名は八百屋宗源といい、薬として輸入されてきた肉桂の独特の香りに惹かれた。南蛮菓子が流行していることだし、これを菓子の素材に用いれば、人気を得るのではないかと、餅に練り込んだ。これが今に伝わる銘菓『肉桂餅』の始まりとなる。
『肉桂餅』の製法は、子孫へと伝えられ、文化文政年間に菓子商として八百源が創業したさいは、これを改良したものが軒先に並べられた。『肉桂餅』は、堺の町民の間で評判を呼んで、ほどなく堺有数の銘菓となり、その地位は今でも不動である。
現代の『肉桂餅』も、肉桂の粉末を練り混ぜた求肥でこし餡を包み、片栗粉をまぶした、代々伝わる姿をとどめている。香りはほのかながらも肉桂独特の爽やかさがあり、口に入れると柔らかな求肥がたちまちとろけ、こし餡と混じり合う。
肉桂の風味がこし餡の甘味と巧みに調和し、甘さは余分に後を引かない。堺は千利休の出身地としても知られるが、今も茶の湯の席のお茶請けとして使われているというのも頷ける。
肉桂を用いたもう1つの菓子に『肉桂楽』(にっきらく)がある。これは、ポルトガルから伝わった代表的な菓子のカステラに肉桂を加えたもの。第6代となる現当主の岡田巧さんが試行錯誤を経て生み出した、新たな看板菓子である。普通のカステラより、やや茶色がかっているのが見た目の特徴だ。
こちらは、肉桂の風味は主張しすぎないながらも、一口食べるたびにその余韻がかすかに残り、いつものカステラとはまた違った上品な味わいに仕上がっている。
製造元である八百源のウェブサイトには「肉桂の香りは脳の機能を活性化させ、気持ちを落ち着かせてくれます」とある。頭や心が疲れたときの一服にいかがだろう。
『八百源来弘堂本店』
住所:大阪府堺市堺区車之町東2丁1-11
電話:072-232-3835
公式サイト: http://yaogen.shop-pro.jp
文/鈴木拓也
2016年に札幌の翻訳会社役員を退任後、函館へ移住しフリーライター兼翻訳者となる。江戸時代の随筆と現代ミステリ小説をこよなく愛する、健康オタクにして旅好き。