文・写真/鈴木隆祐
B級グルメは決してA級の下降線にはない。それはそれで独自の価値あるものだ。酸いも甘いも噛み分けたサライ世代にとって馴染み深い、タフにして美味な大衆の味を「実用グルメ」と再定義し、あらゆる方角から扱っていきたい。
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僕はややマイナーな学生街を偏愛している。そういう街には当然、学生向けの食事処が多いのだが、武蔵大学と日本大学藝術学部、そして武蔵野音楽大学という複数のキャンパスを擁する中野区の江古田などは、学生街であるとともに住宅街でもあり、食堂に関しても新陳代謝と旧態依然のバランスが絶妙な街だ。
だからこそ、長きにわたって学生にも地域住民にも愛着を持たれてきたような、なかなか素敵な老舗が多いのだ。
『好々亭』『ランチハウス』『キッチン太郎』と洋食屋の充実ぶりが特に顕著な江古田だが、今回紹介する『砂時計』の落ち着いた風情はまた格別。武蔵野音大の学生御用達と聞き、ややメルヘンな店内の様子にずっと二の足を踏んでいたのだが、昨年になってようやく訪問し、どうしてもっと早く来なかったのかと悔やんだ。
音大生の女子ばかりという店内の様子に、女性向けの店というイメージを抱いていたが、オーダーした皿が届いたときには唸ってしまった。イメージとのギャップに拍子抜けするくらい、量味とともに侠気系なのである。
「チキン南蛮定食」(850円)はいわば唐揚げの甘辛だれ和えに、タルタルソースが脇に盛られた恰好だが、見るからに肉々しい。白飯かどちらか選べる高菜飯も標準で充分に大盛りだった。
「ポパイスパゲティ」(980円)は文字通り、一把分はあろうかというホウレン草とベーコンの炒めがふんだんに麺の上に乗り、さらには巨大なオムレツで覆われている。オムレツにナイフを入れ、麺を引きずり出す感じに男心をくすぐられる、ダイナミックなパスタだ。どちらも雰囲気をいい意味で裏切る、パワフルな味と盛りつけである。
また名物の『ローマの休日』(という名の鶏肉乗せトマトチーズドリア)は、男盛り版を「グレゴリー」、女盛りは「オードリー」という(今回写真をお見せできないのが残念)。その他にもユニークなメニューが目白押しである。
ご主人は元ピアニスト85歳、奥様は歌手90歳。その矍鑠たる姿はサライ世代の希望の星か。若い学生たちと触れ合うのもお二人の若さの秘訣らしい。
どうやらカラオケの台頭でバンド活動が斜陽になり、それでも好きな音楽に触れる仕事をしたいと、この地で食堂を開くことにしたのが1982年のこと。店名は開店祝いの品の砂時計を見て決めたという。店奥にはグランドピアノが置いてあるが、リクエストに応じてご夫婦で演奏するためのものとか。
豊富なメニューも、学生のリクエストに応えるうちにどんどん増えたのだそうだ。そんな若者への愛情のお裾分けもいただける、なんとも気持ちのよい店なのである。
【今日の食堂】
『砂時計』
■住所/東京都練馬区栄町37-16
■アクセス/西武池袋線江古田駅 徒歩3分
■定休日/水曜 営業日時等要確認
■Facebook/https://www.facebook.com/profile.php?id=100012694696715&fref=ts
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文・写真/鈴木隆祐
1966年生まれ。著述家。教育・ビジネスをフィールドに『名門中学 最高の授業』『全国創業者列伝』ほか著書多数。食べ歩きはライフワークで、『東京B級グルメ放浪記』『愛しの街場中華』『東京実用食堂』などの著書がある。