時季になったら新幹線に乗り、バスを仕立てて、空路を辿り日本中から産地めがけて人が動く。わざわざ食べに行きたいほどの美味、それが「蟹」。今年はどこへ、出かけようか。
漁期は通年。豊饒なる有明海が育んだ驚異の旨み
竹崎カニ(ワタリガニ)佐賀県太良町
菱形の甲羅に大きなハサミ脚を持つワタリガニは、ガザミやタイワンガザミに代表されるガザミ属を指す名称である。北海道から台湾、中国まで広く分布し、内湾に多く棲息することから、かつては最も日常的に親しまれた蟹であった。佐賀県の南端に位置する太良町では、町の竹崎地区で獲れるワタリガニを「竹崎カニ」の名で特産としている。
有明海に面する太良町は「月の引力が見える町」といわれる。それはわずか数時間で海の干満差が最大6mにもなるからだ。有明海の広大な干潟に棲むゴカイ類や小魚、海老などは、潮の満ち引きの中でたっぷりと栄養を蓄える。これらを餌とする竹崎カニは旨みが充満し、甲幅が30cm以上という大きさになるものもある。
蟹漁は通年行なわれ、夏から秋は雄、冬から春は雌が旬となる。漁船は朝5時頃、港から20分ほどの沖合の砂地の底に仕掛けていた刺網を引き上げに向かう。細く細かい網に絡まる竹崎カニは、船上で爪を半分切り取り、1匹ずつ網から取り外していく。漁から戻った貞包保則さん(66歳)の船の生け簀には、全部で20kgほどの竹崎カニが元気に泳いでいた。
町の有明海漁協大浦支所では栽培漁業センターが作られ、計画的な稚蟹の放流も行なわれている。
両手で割りながら食べ尽くす
太良町には竹崎カニが味わえる店や宿が点在する。そのひとつ『蟹御殿』を訪ねた。海を見晴らす露天風呂付きの客室や4棟の離れなどを有し、宿名の通り地元の漁師から買い付けた良質な蟹が自慢だ。宿の蟹専用の生け簀の前では、料理長の高比良賢治さん(53歳)が運び込まれた蟹を選別する。
「竹崎カニはなんといっても茹でたてが一番美味しいです。季節に応じて茹で時間や塩加減を微調整し、美味しさを最大限に引き出しています」(高比良さん)
宿の夕食の基本コースである「竹崎蟹会席」では、ひとり1杯の茹で蟹と焼き蟹、蟹釜飯のほか、ワラスボやクチゾコ(アカシタビラメ)、二枚貝の海茸など珍しい有明海の恵みも味わえる。
真っ赤に茹で上がった竹崎カニは、ハカマ(ふんどし)を外し甲羅を開き、薄い殻を両手でバリバリと割りながら食す。ほどよい塩味のなかに瑞々しく爽やかな甘みが口に広がる。ワタリガニは水っぽく旨みが少ない、これまでのそんな認識が一気に吹き飛んだ。雌は濃厚なみそと内子(卵巣)が絶品だ。一年を通して蟹を存分に味わえ、海を眺めながら温泉に浸る。なんという贅沢だろう。
海岸沿いの道の駅を覗(のぞ)くと、水揚げされたばかりの竹崎カニが所狭しと並んでいる。オリーブ色の独特の体には、日本一の干満差を誇り、海水と淡水が混じり合う有明海の多様性が詰まっている。
蟹御殿
佐賀県藤津郡太良町大浦乙316-3
電話:0954・68・2260
チェックイン15時、同アウト11時
料金:1泊2食付きひとり2万9700円~ 16室。
取材・文/関屋淳子 撮影/松隈直樹
※この記事は『サライ』2023年2月号より転載しました。