名峰モンブランにちなんだ郷土菓子が日本で独自に進化
プリン、シュークリーム、ショートケーキと並び、洋菓子四天王とも称されるモンブラン。そんな親しみ深いモンブランの特徴といえば、“細い紐状のマロンクリーム” だ。だが、ルーツとなるフランスやイタリアのモンブランの原型はそうではなかった。
モンブランはフランス語でMont Blancと綴り、“白い山” を意味するように、元来、冠雪した山の形状、つまり名峰モンブランに見立てた菓子である。モンブランはフランスとイタリアの国境にまたがるヨーロッパアルプスの最高峰。その名にちなんだ菓子が生まれたのは中世で、アルプス山脈に近い、フランス・サヴォア地方、イタリア・ピエモンテ州だといわれている(諸説あり)。当初はマロンクリームに泡立てた生クリームを添えたものだったらしい。
それが時代を経て1903年、パリの『アンジェリーナ』が今のフランス式モンブランの姿をかたちづくった。洋栗を渋皮ごと煮た、茶褐色のマロンペーストは山肌を、粉糖が雪を表し、姿はフランス側から望むモンブランのごとく、なだらかな丸みを帯びている。
ちなみにモンブランはフランス語ゆえ、イタリアでは同じく “白い山” を意味する「モンテビアンコ」と呼ぶ。その姿は円錐形にクリームを成形し、イタリア側から見たモンブランを模している。
フランス側から見たモンブランと、フランスのモンブラン
イタリア側から見たモンブランと、イタリアのモンブラン(モンテビアンコ)
日本のモンブラン誕生
ところ変わり日本で、黄色いマロンクリームをまとった、いわゆる昔ながらのモンブランが誕生したのは昭和初期のこと。現在も続く東京・自由が丘の洋菓子店『モンブラン』の創業者であり、菓子職人の迫田千万億(さこた・ちまお、1903〜75)に端を発する。
千万億は、日本の洋菓子界の発展に尽力した人物。キリスト教徒であり、上智大学のスイス人神父と交流が深く、一緒にヨーロッパを旅した。そのとき、フランス東部の町、シャモニーで目にしたモンブランの風景に感銘を受け、さらには現地で食したデザートにヒントを得てつくったものが、のちに日本のモンブランの元祖となった。
山とデザートの名である “モンブラン” を自身の店にも付け、愛され続けて89年。現在は、千万億のひ孫にあたる迫田直幸さんが4代目として味を守っている。
モンブラン
東京都目黒区自由が丘1-29-3
電話:03・3723・1181
営業時間:11時~19時(喫茶は最終注文17時30分・18時閉店)
定休日:無休
交通:東急東横線自由が丘駅から徒歩約1分 100席。
取材・文/山﨑真由子 撮影/寺澤太郎 写真提供/森田広司(アフロ)、SIME(アフロ)
※この記事は『サライ』2022年10月号より転載しました。