101歳のいまも活躍する現役の日本最高齢ピアニスト、室井摩耶子さん。自分らしく、幸せに生きるコツは、「わたしという『個』、わたしの『心とからだ』の声に従ってきたから」だと言います。そんなマヤコさんの生きる指針をご紹介します。「人生100年時代」と言われるいま、将来の暮らしに漠然とした不安を持っている方のヒントになるはずです。

文/室井摩耶子

プロフェッショナルとしての生き方

プロフェッショナルという言葉が好きです。
お金をもらうだけがプロではありません。主婦のプロもいるでしょうし、子育てのプロもいるでしょう。残念ながら、そのふたつのプロに、わたしはなれませんでしたが、誰もが人生のプロフェッショナルであることは疑いようがありません。

わたしがドイツに渡ったのも、プロフェッショナルとしての生き方を求めてのことでした。
1956年に、オーストリアのウィーンで「モーツァルト生誕200年記念祭」が開催されることになり、日本代表としてわたしに声がかかったのです。当時わたしは、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)の講師として、ピアノを教えていました。

「あのまま日本で教えていたら、年金もたくさんもらえたのにね」
友人からは、よくこんなふうにからかわれますが(たしかにそれはいえるわね)、わたしは外国に行けるということに色めき立ったのです。外国に行くこと自体が難しい時代でした。外国に行くこと自体、非常に大きな覚悟が必要でした。いまでは考えられませんね。

小学校の卒業文集で宣言

「私はピアニストになって、世界中を演奏してまわります」
小学校の卒業文集に記した言葉です。まあ随分、大胆な言葉を書いたものね。でもその想いは、30歳を過ぎたそのころも、くすぶっていたのです。一カ所にとどまっていられない性格なのかもしれません。

これまで、リサイタルの評判も良かったですし、職もありました。でもね、何かが足りないの。そして何をどうすればいいかがわからない。足りないことはわかるけれど、その正体が見えなかったのです。

自分に足りないものを見つけるためには、いままでの生活を続けていてはだめでした。クラシックの本場で学びたい。こう思ってしまったら、わたしを止める人は誰もいません。

「モーツァルト生誕200年記念祭」の派遣を機に、第1回ドイツ政府給費留学生にも推挙され、ドイツのベルリン音楽大学に留学することになりました。プロフェッショナルになるためには、一度、これまでの自分をきれいさっぱり捨てる必要があったのです。ええ、もう日本に戻らない覚悟でした。

82歳の老婦人のピアノソナタ

渡欧して8年。40歳を過ぎたころでしょうか。わたしはひとりのプロフェッショナルと出会いました。

ここヨーロッパでは、自分の意志や個性を出すのが当たり前。一方でクラシック音楽にはルールがあります。わたしはルールと個性の狭間で、自分の表現を見つけられずにいました。

そんなとき、ドイツの女性ピアニスト、エリー・ナイ――当時82歳だった彼女のベートーヴェンのピアノソナタを聴いたのです。それがまるで、優しいお婆さんが孫をあやすような、なんともいえない響きなのです。ゆったりしたテンポ、優しいタッチ。それはいままで耳にしたことがないピアノの音色でした。

「そうかい、そうかい。坊や。ああ、おまえの言うとおりだよ」

そんなエリー・ナイの声が聞こえてきたような気がしました。ベートーヴェンのこれまでの解釈とは異なるかもしれません。でもそこには、82歳の老婦人にしか表現できない音がありました。

ああ、プロとは、わたし自身に正直になることなんだ。滲み出る個性に任せ、自分を無理に表現しようとしない。怠けることなく生き、ピアノに向かい合っていれば、個性は自然と醸し出される。そのことに気づかされたのです。わたしはわたし、マヤコはマヤコ、なのです。

* * *

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室井摩耶子(むろい・まやこ)
大正10年4月18日、東京生まれ。6歳でピアノを始める。東京音楽学校(現・東京藝術大学)を首席で卒業後、同校 研究科を修了。昭和20年1月に日本交響楽団(NHK交 響楽団の前身)演奏会でソリストとしてデビュー。昭和30年、映画『ここに泉あり』にピアニスト役(実名)で出演。昭和31年にモーツァルト「生誕200年記念祭」に日本代表としてウィーン(オーストリア)へ派遣され、同年、第1回ド イツ政府給費留学生としてベルリン音楽大学(ドイツ)に留学。以後、海外を拠点に13カ国でリサイタルを開催、ドイツで「世界150人のピアニスト」に選ばれる。59歳のとき、演奏拠点を日本に移す。CDに『ハイドンは面白い!』など。平成24年、新日鉄音楽賞特別賞を受賞。平成30年度文化庁長官表彰。令和3年、名誉都民に選定される。101歳のいまも活躍する現役の日本最高齢ピアニスト。

 

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