日本全国に大小1500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)す酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざ。そこで、「美味しいお酒のある生活」を主題に、小さな感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。
【今宵の一献】 宮島酒店『斬九郎 特別純米生』
ちょうど1年前の今頃、6月のよく晴れた日です。私は中央アルプスの駒ケ岳を仰ぎ見ながら東へ向けて車を走らせていました。木曽と伊那を結ぶ全長約4.5㎞に及ぶ長い権兵衛トンネルを抜けた瞬間、まばゆい青空の下に伊那谷の広大な景観が目の前いっぱいに開けたのです。その感動的な光景は、今でも記憶に鮮明に焼きついています。
その日、私が訪れたのは、天竜川に沿って南北にのびる盆地・伊那谷の北部に位置する長野県伊那市の「宮島酒店(みやじまさけてん)」。中央アルプスと南アルプスの雄々しい山容を望む伊那の町に、優に100年を超える歴史をもつ老舗の酒蔵です。
明治44年創業の宮島酒店には、代々受け継いできた酒造りへの強い信念があります。4代目当主の宮島敏(みやじま・さとし)さんは、こう言います。
「日本酒を心ゆくまで楽しんでいただくために、米の旨みを存分に引き出すこと。そして、なにより口に入れるものですから、安心安全を第一にした信頼できる酒づくりを貫くことです」
その酒づくりの出発点として、宮島酒店が早い時期から全国の酒蔵に先駆けて取り組んできたのが、より安全な「土づくり」と「米づくり」でした。
現在つくっている酒の石数は約400石。一升瓶に換算すると4万本になりますが、全国的にわりと名の知られた酒蔵なら年間1万石あるいは2万石の生産量を持っています。それに比べて、この400石という規模は、ごく小さな酒蔵のそれです。
原料の酒米は、地元の米農家やJAの協力による全量契約栽培の「美山錦(みやまにしき)」や「ひとごこち」という、いずれも長野県で開発された酒造好適米を使っています。今、使用する酒米の9割が低農薬栽培、1割は完全無農薬栽培です。明治末に酒造りを始める以前の宮島家は米穀商を営んでいたといいますから、米に対する思い入れはもともと強く、それが現在の全量純米酒化、すべてが純米酒という結果につながっているのです。
各蔵が酒の出来映えを競う「全国新酒鑑評会」では、酒米の王様「山田錦」を使って醸した銘柄が、入賞には圧倒的に有利な状況があるのですが、昨年26年度の鑑評会で、宮島酒店が出品した無農薬の「美山錦」を用いた純米大吟醸酒が見事に金賞を受賞しています。
そんな宮島酒店が目指すのは、「料理を引き立て、料理によって引き立つ日本酒」です。食中でこそ真価を発揮する“芳醇辛口”を基本軸に据えて、なお“世界の中の日本酒”を強く意識した個性的な酒づくりに取り組んでいます。
宮島酒店の主力銘柄は『信濃錦(しなのにしき)』といいますが、今回は2002年に誕生した販売店限定流通酒、その名も『斬九郎(ざんくろう) 特別純米生』をご紹介します。
『斬九郎』と聞いて、少し年配の方の中には、かの柴田錬三郎原作の時代小説『御家人斬九郎』(昭和51年刊)を連想される人もいらっしゃるでしょうか。徳川の名門の家柄ながら、無役三十俵三人扶持の最下級の御家人・斬九郎が活躍する物語は、フジテレビが渡辺謙を主役に起用してドラマ化。1995年から2002年にかけて全50話を放送していますので、そちらの映像を憶えてる方も多いかも知れません。事実、4代目蔵元の宮島さんは「御家人斬九郎」からインスピレーションを受けて名を冠したといいます。
目指したテーマは「キレのよさを追求した味わい豊かな食中酒」で、その“抜群のキレのよさ”を擬人化してネーミングされたのだそうです。
私どもの「白菊屋」でも、『斬九郎』の由来を語る前に、お客さんのほうから「斬九郎って、あの斬九郎!?」と聞かれることが多いお酒です。
■軽快な飲み口できりっとした酸味が特徴
さて、『斬九郎 特別純米生』は搾ったままの生原酒ではありません。生原酒はアルコール度が17~20%と高めですが、水を加えることでアルコール度数を比較的軽めの15%に抑えた生酒です。この「加水」あるいは「割り水」と呼ぶ手法は、日本酒を軽やかに飲みやすくするためのものです。
その分、飲み口は軽快ながら、米の旨みはしっかりとあって、なおキリっとした酸が効いています。元々の残糖分の少なさも手伝ってか、結構な辛口に感じます。ネーミングどおり、後口はスパッとしたキレの良さが光ります。梅雨の汗ばむ時期にはぴったりの嬉しい爽快感のあるお酒です。