日本全国に大小1500の酒蔵があるといわれています。しかも、ひとつの酒蔵で醸(かも)す酒は種類がいくつもあるので、自分好みの銘柄に巡り会うのは至難のわざ。そこで、「美味しいお酒のある生活」を主題に、小さな感動と発見のあるお酒の飲み方を提案している大阪・高槻市の酒販店『白菊屋』店長・藤本一路さんに、各地の蔵元を訪ね歩いて出会った有名無名の日本酒の中から、季節に合ったおすすめの1本を選んでもらいました。
【今宵の一献】 藤市酒造『菊鷹 純米無濾過生 Hummingbird』
さわやかな初夏の風にそよぐ木々の若葉に、陽射しが光ってまぶしい季節です。1年のうちで最もさわやかな時候。鼻歌まじり、ハミングでもしながら出かけたくなるのは、私だけではないと思います。
そんな時節におすすめしたい1本が、藤市酒造の『菊鷹 純米無濾過生 Hummingbird』。サブタイトルに“ハミングバード”の名が冠されたお酒です。
ハミングバードは、主に中南米に生息する世界でいちばん小さな鳥の仲間です。最小は約6㎝で体重は2gほど。毎秒50~80回の超高速で羽ばたいて空中で静止するホバリングをしながら、長い嘴(くちばし)を花の中に差し入れて蜜を吸います。蜜蜂のように。ですから、日本語訳ではハチドリです。
それにしても、なぜお酒の名前が”ハミングバード”なのでしょうか。素直に連想するなら、ハチドリ→花の蜜→甘くて柔らかで、口にすると、うれしくて思わずハミングしてしまいそう、そんなイメージがわいてきます。実際、お酒を口に含んでみると、葡萄を思い浮かべるような、ほんのりと甘い芳香があります。加えて、みずみずしい果実系の酸味もたっぷり含まれていて、そのさわやかさが口中に広がってゆきます。
■愛知・稲沢で150年の歴史をもつ酒蔵
木曾川・長良川・揖斐(いび)川の木曽三川が運ぶ土砂が堆積してできた濃尾平野(のうびへいや)の真ん中に位置する愛知県稲沢市。ここが『菊鷹・ハミングバード』の醸造元「藤市酒造」の故郷です。古くから西国と東国を結ぶ重要な街道だった美濃路に面して立つ、ごく小さな酒蔵ですが、明治5年(1872)の創業から150年近い歴史をもっています。
木曽川の良質な伏流水を使って、近年は、わずかながら自社銘柄のお酒をつくりつつ、老舗の蔵元「剣菱(けんびし)酒造」(兵庫県神戸市)の酒づくりを請け負ってきました。
転機が訪れたのは平成24年。藤市酒造の専務・加藤豪(かとう・たけし)さんが、酒づくりの責任者として南部流の山本克明(やまもと・かつあき)さんを杜氏に迎えてからでした。
山本さんは大阪の蔵で杜氏に次ぐ頭(かしら)として酒づくりに勤(いそ)しんできた方ですが、初めての地で、あえて無難な酒づくりではなく、より踏み込んだ攻めの酒づくりにチャレンジ。それを見守る専務の加藤さんとの二人三脚から『菊鷹』銘柄のお酒を世に送り出したのです。そのなかの1本が『菊鷹・ハミングバード』です。
今年で4年目という、まだ生産量も少ない『菊鷹』ですが、その知名度は徐々にあがってきています。私も自信をもっておすすめできる素晴らしいお酒です。
■優しい甘味を下支えするミルキーな酸味
味の決め手はふたつあります。ひとつは、お酒をつくる過程で必要な酵母(こうぼ)に「金沢酵母」 を使っていることです。酵母には、お米の糖分をアルコールと炭酸ガスに分解する働きがあって、その際にエステルと呼ばれる香気成分を放出するのですが、酵母の種類によって香りの質が大きく違ってきます。
金沢酵母は香り高いお酒をつくることから、吟醸酒や純米酒に向くといわれています。それも、決して華やかな香りではなく、穏やかでバランスのよい香りです。私などは、金沢酵母と聞くと「派手過ぎず、優しく甘い芳香のあるお酒」というイメージがまず浮かんできます。
もうひとつの味の決め手は、自然界の乳酸菌を使っていることです。通常、お酒の仕込み段階で雑菌が繁殖しないように、人為的に乳酸を加えるのですが、『菊鷹・ハミングバード』は自然界の乳酸菌のなかから選別して培養した菌を使っています。その結果、どこかミルキーな酸が甘味を下支えして、甘酸(かんさん)のバランスに優れたお酒に仕上がっています。
最近、大阪でホルモン焼きの飲食店を営むご主人から「店に日本酒をひとつ置きたいのですが…」という相談を受けました。客層は比較的若いとお聞きして、私がおすすめしたのが、この『菊鷹・ハミングバード』でした。このお酒には甘味があって、酸味もしっかりしていますので、ホルモンとも相性はぴったりのはずです。
実際、使っていただいたところ「お客さんに大好評だった」とのことで、以来、『菊鷹・ハミングバード』をひたすら店の酒としてお使いいただいています。