尾張半国の守護代のそのまた三奉行のうちのひとつに過ぎない、織田信秀・信長と続く織田弾正忠家が、なぜ、激動の戦国時代に頭角をあらわすことができたのか?
その答えは、彼らが、交通と経済の要衝であった熱田と津島を押さえていたからに他ならない。
そのうちの津島が、『麒麟がくる』第四話「尾張潜入指令」のエンディングで登場人物ゆかりの地を紹介する紀行コーナーに登場した。
津島神社や天王川公園などが紹介されていたが、愛知県出身の私は、「え―」と思った。津島を紹介しておきながら、あの祭りを紹介しないんですか、と。
あの祭りとは、毎年7月第4土曜日・日曜日に斎行される「津島天王祭」のことだ。
その歴史は古く、今から遡ること500年ほど前の室町時代末期頃から始まったといわれる津島神社の祭礼だ。
信長の時代にはすでにこの地方の夏の風物詩になっており、津島商人を掌握していた信長も見物したと伝えられている。2011年に刊行された『信長全史』(小学館)では、〈信長の原風景〉として紹介された。
宵宮の夜。天王川に浮かべられた5艘のまきわら船の上には屋台が組まれ、1年の日数を表す365個の提灯が椀を伏せたような山型に飾られている。
その中心に1年の月数を表す12個の提灯を取り付けた真柱が立てられる。漆黒の夜空に煌々ときらめく提灯の灯りは水面にも映し出され、まばゆいばかりだ。笛の音にあわせてゆらゆらと川を渡る様子は、妖艶なまでに幻想的だ。
翌朝には5艘の船はお色直しをして車楽船となり、前夜とは装いを変えて姿を現す。もう1艘を加えた6艘は、能の出し物をかたどった置物を乗せ、悠々と水面を進む。置物の人形や装飾は豪華絢爛、戦国時代は、津島商人の財力を誇示する祭りだったに違いない。
●『麒麟がくる』で再現してほしい〈明かりが灯る安土城〉
信長は、天正9年(1581)7月15日、信長は安土城や城下の惣見寺に無数の提灯を吊るし、琵琶湖の入江に浮かべた船や道々に松明を持った家臣を配置するという、行事を催している。『信長公記』にはこう記されている。
〈山下かがやき水に移り、言語道断、面白き有様。見物群衆に候なり〉(城のたつ安土山の輝きが琵琶湖の湖面に映る様は、言葉が出ないほど美しい。その光景を見るために多くの群衆が集まった)。
今でこそイルミネーションはどこでも見られるが、街の灯りなどなかった戦国の世には、どれほど煌びやかに人々の目に映ったであろうか。神々の世界が地上に現れたような、そんな美しくも妖しい輝きを放っていたのではないかと、想像が膨らむ。
信長の経済力や権勢を顕示するイベントだったのであろうが、豊かな津島の商人たちが中心となって斎行していた津島天王祭の賑わいや、人々の喜ぶ様を安土でも再現したかったのではないだろうか。天下を目前に控えた信長の、郷愁と未来への展望がないまぜになったような行事であったに違いない。『麒麟がくる』でぜひとも再現してほしいシーンの一つである。
構成/『サライ』歴史班 一乗谷かおり