取材・文/糸井賢一(いといけんいち)
ただの乗り物なのに、不思議と人の心を魅了する自動車とオートバイ。ここでは自動車やオートバイを溺愛することでオーナーさんの歩んだ、彩りある軌跡をご紹介します。
今回、お話をうかがったのは千葉県にお住まいのフリーランスライター、高平鳴海さん(53歳)です。大学卒業後、接客業に就いたものの、程なくしてライターに転向。十~二十代向け書籍の執筆を活動の中心とし、現在に至っています。
はじめて買ったクルマはプレリュード。その縁は失恋から始まり、失恋で終わってしまう
広島県広島市で産声をあげた鳴海さん。お父様は地元企業のマツダに勤められ、クルマの模型を玩具にする幼少期を過ごしました。幼い鳴海さんが小さなミニカーに乗り込むべく足先を運転席に差し込もうとしたことは、今でも家族の語り草になっているそう。
鳴海さんが3歳の時、お父様の転職に伴い、一家揃って北海道へと引っ越します。1970年の半ばにスーパーカーブームが到来。しかしこの頃の鳴海さんはそれほどクルマに興味を持っておらず、スーパーカーも友人との話題のひとつととらえていました。
千葉県にある大学へと進学するため、鳴海さんは実家を離れて一人暮らしを始めます。引っ越し後、普通自動車と普通自動二輪の運転免許を取得するべく教習所に通いますが、あくまで資格を得るのが目的でした。
幼少期を除いて、ここまで特別、クルマやオートバイが好きというわけではなかった鳴海さん。転機は大学在学中、20歳に訪れます。
「20歳の頃、大失恋をしてね。失恋後は食事がノドを通らなくて、半年で30キロも痩せたよ。そんな俺を見かねた後輩が『気晴らしにツーリングに行きましょう』って誘ってくれたから、クルマを買うことにしたんだ。当時はクルマへのこだわりがなく、『カローラ』や『サニー』といった大衆車でいいと思ったんだけど、後輩に『大衆車はモビルスーツ(アーマー)でいうボールです。どうせ乗るなら性能の良いガンダムやゲルググに乗りましょう!』って、『ガンダム』に例えてスポーツモデルに乗るよう勧められてね。『そうか、なるほど!』って納得し、ホンダの(2代目)『プレリュード』を買ったんだ。直線的なスタイルやリトラクタブルヘッドライトも、変形ロボットみたいで格好良かったからね」
125馬力という(当時としては)高いパワーに、アクセルを踏み込んだだけ加速する吹け上がりの良さ。車体の軽さからくる動きの軽快さに、背中を包むようなシートのホールド性。くわえて座面の低さや前方下方向への視界の悪さと、教習車とのあまりの違いに、鳴海さんは「スポーツタイプとは、こういうものなのか!?」と衝撃を受けます。納車後は後輩や友人とツーリングに出かけ、その楽しさにより失恋の痛手から立ち直ります。
大学卒業後、全国に展開するホビーグッズショップへと就職。しかし自身が接客業に向いていないことを悟り、3ヶ月で離職を決意します。就業していた間、本部からの指示でライティング業務に携わり、その時の上司より「離職するならライティングの仕事を受けてくれ」と依頼されたことが切っ掛けで、ライターへの転向を決意します。
その後、フリーランスライターとして順調に経験を重ねる鳴海さん。活動が軌道に乗った頃、先輩ライターより「ライティングを中心としたプロダクション会社を立ち上げるから参加しないか?」と声をかけられます。これに参加した鳴海さんは会社員の肩書きの元、同程度のキャリアを持った同僚と組織的なライティング活動を行い、書籍制作におけるディレクションの手法を学びます。
プレリュードの購入から3年が経過し、その性能や使い勝手に十分、満足していた鳴海さんですが、その関係は突然、終わりを告げます。
「付き合っていた女性と別れた直後にスリップ事故を起こしちゃって……。やっぱりショックで、どこか運転が上の空になっていたんだろうね。誰も巻き込まなくて本当によかったよ」
プレリュードは後輪とその周辺を強打。さほど大きな外傷はなく、鳴海さん自身も怪我を負わなかったこともあって「被害の程度は軽く、すぐに直る」と考えていました。しかし持ち込んだ自動車修理工場にて、プレリュードのフロアは大きく歪んでいることが判明。店主より「修理は困難」と診断されてしまいます。
失恋が切っ掛けで購入したプレリュード。最後は失恋が切っ掛けで鳴海さんの元を去るという、少し皮肉な運命を辿りました。
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