重要文化財に指定されている東寺灌頂院。寛永11年(1634)の再建で通常は非公開(写真提供/京都古文化保存協会)。
京都では毎年春と秋に、通常は非公開の国宝や重要文化財を含む仏像や建築、絵画、庭園などが「特別公開」される。この催しは、「京都非公開文化財特別公開」と呼ばれ、この秋で通算68回を数える。今回は市内の20社寺などで開催されているので、京都を訪れた際はぜひ、普段見ることのできない「伝統の美」の数々にふれてみたい。
灌頂院に浮かぶ真言八祖像
東寺は延暦15年(796)の創建以来、その位置も広さもほとんど変わっていない。平安京時代の面影を今に伝える唯一の寺院である。
創建後、東寺の伽藍造営はなかなか進まなかった。そこで嵯峨天皇は中国帰りの僧・空海に寺を預け、造営を託した。それが契機となり、東寺は真言密教の一大拠点へと発展する。
境内には南大門(重要文化財)・金堂(こんどう、国宝)・講堂(重要文化財)・食堂(じきどう)が南北線上に整然と並ぶ。そして、南東に五重塔(国宝)、南西に灌頂院(かんじょういん、重要文化財)が立つ。
灌頂院は密教の秘儀を行なう重要な施設で、通常は非公開だ。ここでは毎年1月8日から14日まで「後七日御修法」(ごしちにちみしほ)という祈祷が行なわれる。承和元年(834)に空海が宮中の真言院で始めた伝統ある修法で、明治以来この灌頂院で続けられている。
真言密教の教えを伝える神聖な建築、灌頂院が特別公開されるとあっては、この機会を見逃すわけにはいかない。
室内の薄暗い壁面に、古代のインド人で真言密教の第一祖となった龍猛(りゅうもう)以下、密教を日本に伝えた空海までの真言八祖像が描かれている。真言八祖といわれても一般にはあまりなじみがない。その第七祖は恵果阿闍梨(けいかあじゃり)という。空海に興味のある方なら、一度は耳にしたことのある高僧である。
空海は中国の唐に渡り、首都・長安、現在の西安で恵果阿闍梨に出会った。ふたりの出会いは歴史の奇跡のようなものだが、恵果は空海をひと目見るなり「私はあなたの来訪をずっと待っていた」といい、まるで既知の間柄のように喜んだ。そして、空海を密教の正統な継承者とし、重要な経典や法具、仏像などの一切を託したという。
この八祖以外に、密教の教主・大日如来から仏法を受け、それを龍猛に伝えた金剛薩埵(こんごうさった)の画像もライトアップされる。
金堂に安置されている十二神将像
東寺金堂の薬師如来の台座下に安置された十二神将たち(写真提供/京都古文化保存協会)。
灌頂院では、同時に貴重な仏像が拝観できる。金堂の本尊、薬師如来の台座下に安置されている十二神将像(重要文化財)である。高さ1mくらいの小さな仏像だが、12体揃った名品である。
金堂は文明18年(1486)に焼失したが、慶長8年(1603)に再建され、この十二神将もその時に再興された。作者は仏師・康正(こうしょう1534~1621)。平安時代末期から活躍した仏師集団・慶派(けいは)のひとりである。
十二神将は本来、薬師如来の守護神である。方位や時を守る役目を持っているが、一方で子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)と続く十二支と合体して、それらの動物を頭部にかぶるようになった。金堂ではほぼ正面からの拝観となるので、後方に安置された子(ね)の神将などはまったく見えない。その点、今回の特別公開では、十二神将すべてが見えるよう配置されている。自分の干支(えと)の神将はどのような表情で、どこに立っているのか、是非探していただきたい。
東寺 灌頂院
住所/京都市南区九条1
公開期間と拝観時間/10月30日(金)~11月8日(日)は8時30分~17時30分、11月9日(月)~20日(金)は8時30分~17時、11月21日(土)~25日(木)は8時30分~16時30分(いずれも受付は終了時間の30分前まで)
拝観料/800円
URL/http://www.toji.or.jp/
問い合わせ先/075-754-0120(京都古文化保存協会)
文/田中昭三
京都大学文学部卒。編集者を経てフリーに。日本の伝統文化の取材・執筆にあたる。『サライの「日本庭園」完全ガイド』(小学館)、『入江泰吉と歩く大和路仏像巡礼』(ウエッジ)、『江戸東京の庭園散歩』(JTBパブリッシング)ほか。